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→‎古代から近世: 1297年5月に元と交戦したのは瓦英で場所はチリマ岬(『元史』)
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* [[1284年]]([[弘安]]7年)- [[1286年]](弘安9年) - 元、聶古帯(ニクタイ)を征東招討司に任じ、骨嵬征伐が20年ぶりに実行される。
* [[1295年]]([[永仁]]3年) - [[日持]]が[[日蓮宗]]の布教活動のために樺太へ渡り、[[本斗郡]][[本斗町]]阿幸に上陸し、布教活動を行ったとされる。
* [[1297年]](永仁5年)5)7月 - 王不廉古(ユプレンク)に率いられた骨嵬([[樺太アイヌ]])が[[外満州]]の[[黒龍江]]を遡上して払里河というところで元と交戦。海保嶺夫は、蝦夷沙汰職・蝦夷代官[[安藤氏]]が[[蝦夷#えぞ|蝦夷]]を動員して元と戦ったという説を唱えたが<ref name="ezo">エゾの歴史 海保嶺夫 ISBN 978-4061597501 初版96年(2006年 講談社学術文庫版 103-104頁)</ref>、榎森進はその推理には無理があると指摘している<ref>榎森進 『アイヌ民族の歴史』 草風館、2015年、64頁。</ref>。
* [[1308年]]([[徳治]]3年/[[延慶 (日本)|延慶]]元年) - 吉里迷を仲介として、骨嵬が毛皮の[[朝貢]]を条件に元朝への和議・帰順を申し入れた。以降、40年以上に及んだ骨嵬と元朝の戦いは終了([[安藤氏の乱]]も参照)。
* 1336年-1392年([[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]])の[[具足]]([[甲冑]])が樺太から出土している。