「モーリス・ドニ」の版間の差分

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ドニは1870年11月25日、フランスの[[ノルマンディー]]地方の海岸の町、[[マンシュ県]][[グランヴィル (マンシュ県)|グランヴィル]]で生まれた。画家になってからも、聖書から採った題材と並んで海と海岸線を好んで絵の主題としている。ドニが15歳の時、「そうだ、僕がクリスチャンの画家になること、キリスト教徒のあらゆる奇跡を賞賛することが必要だ。それが必要なことだと感じる。」と書いている。ドニ家は富裕な家庭で、ドニは[[エコール・デ・ボザール]]と[[アカデミー・ジュリアン]]の両方に通っている。そこでフランス人人物画家・理論家の[[ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル]]に学んだ。
 
ドニはアカデミーで[[ポール・セリュジエ]]、[[ピエール・ボナール]]ら、将来の[[ナビ派]]のメンバーとなる画家仲間と出会った。また、ボナールを通じて、これもナビ派のメンバーとなる[[エドゥアール・ヴュイヤール]]、{{仮リンク|[[ケルグザヴィエ・ルーセル|en|Ker-Xavier Roussel}}]]とも出会った。[[1890年]]、彼らはナビ派を結成した。「ナビ」とは預言者の[[ヘブライ語]]であり、自分たちが新しい表現の形を作り出すという意思の表れだった。1890年代末までにグループは分裂したが、ボナールやヴュイヤールの作品には後まで影響を残し、グループ外の[[アンリ・マティス]]などにも影響を与えた。
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ファイル:Maurice Denis Homage to Cezanne 1900.jpg|『[[セザンヌ礼賛]]』1900年。[[オルセー美術館]]。