「天橋立」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
‎論文 pdf への直接リンクを間接リンクに変更、style
国定公園の区域変更について付記。難読と思われる地名に読み仮名。
107行目:
** 2月16日 - [[日本の歴史公園100選]]
** 5月10日 - [[日本の地質百選|日本の地質100選]]
** 8月3日 - 若狭湾国定公園の区域変更に伴い[[丹後天橋立大江山国定公園]]に指定
* 2014年3月18日 - 「宮津天橋立の文化的景観」としての名称で[[重要文化的景観]]として選定(2015年1月26日、文殊地区を追加選定)<ref>{{cite web|publisher=全国文化的景観地区連絡協議会|url=https://www.bunkeikyo.jp/landscape/landscape-104|title=宮津天橋立の文化的景観|accessdate=2018-11-06}}</ref>
 
[[File:天橋立930320img056.jpg|thumb|930320北側]]
116行目:
=== 眺望 ===
[[ファイル:Amanohashidate view from Mt Moju02s3s4592.jpg|thumb|南側からの眺望 - 飛龍観]]
明治時代まで、来訪者は寺社へ参詣する旅の中で天橋立の景観を楽しんでいた。天橋立を望む視点は、自然とその道中の峠や阿蘇海などの船上、寺社周辺が主であった。とりわけ代表的な三つの視点、樗峠(おうちとうげ、現在の大内峠)、傘松、栗田峠(くんだとうげ)からの眺めは三絶または三大観と呼ばれ、景観研究の対象となった。他に文殊側に位置する櫻山(桜山)や玄妙庵があり、吉見豆人は1921年、著書『天橋紀行』の中で「樗峠、傘松、櫻山、丹後富士(由良ケ岳)を天橋'''四大観'''と呼ぶそうだが、その中では櫻山が一番感じが良い」と述べた。一方『樗嶺志』は天橋四大観として栗田峠、大内峠、成相山、櫻山を挙げた。玄妙庵は1386年、[[足利義満]]が智恩寺に参拝した際に訪れ「ああこれまさに玄妙なるかな」と詠嘆したことが名前の由来であり、昭和前期の絵はがきに「玄妙庵からの眺めは四大観の一つ」という記述がある<ref name="fukamachi">深町加津枝 奥敬一、「[https://doi.org/10.5632/jila.67.813 天橋立における歴史的景観の変遷と地域住民の景観評価に関する研究]」 ランドスケープ研究 2004年 67巻 5号 p.813-818, {{doi|10.5632/jila.67.813}}</ref>。
 
戦後は天橋立'''五大観'''として傘松、玄妙庵、大内峠、滝上公園、獅子崎を挙げた記述が見られた。1970年、文殊地区に[[天橋立ビューランド]]が開業すると、そこから天橋立を望む飛龍観が斜め一文字、一字観、雪舟観とともに四大観と呼ばれるようになった。これらのように、明治以降に言われる四大観や五大観は人によって、また時代によって差異があった。1986年、宮津商工会議所などが「天橋立十景」を選定した。これらは新たな展望地や車道の整備に伴い加えられたものであったり、伝統的な視点が再評価されたものである。天橋立地域の広範囲を一体的に眺める遠景を中心としており、櫻山や玄妙庵のような近距離の視点は含まれていない<ref name="fukamachi" />。
168行目:
* 元伊勢籠神社
* 成相山成相寺 - 西国三十三所の28番札所
* 天橋山智恩寺 - 808年([[大同 (日本)|大同]]3年)創建されの伝承を有し、古くから知恵を授かる文殊信仰の寺院として知られている。境内には[[重要文化財]]の多宝塔がある。
* [[天橋立神社]](橋立明神)
* [[薄田兼相|岩見重太郎]]仇討の場