「鶴岡市立加茂水族館」の版間の差分

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[[加茂港]]([[加茂町 (山形県)|加茂村]])は[[江戸時代]]、[[庄内藩]]・[[鶴岡城]]下の[[外港]]として繁栄した。[[明治]]以降の[[鉄道]]開通でその地位から転落する中、1930年(昭和5年)に隣接する[[湯野浜温泉]]への鉄道開通を機に、同温泉の組合が加茂港背後地に当館を誕生させた。[[太平洋戦争]]中は国策の施設に転用され、[[戦後]]は県の学校の校舎に使われた。
 
[[1956年]](昭和31年)に、12年間の空白期間を経て水族館として復活し、集客力は[[高度経済成長]]後期の1967年度(昭和42年度)に「21万7372人/年度」に達した。その後は凋落し始め、[[バブル崩壊]]後の1997年度(平成9年度)に「9万2183/年度」にまで落ち込んだ。90年近い当館の歴史において、(水族館以外も含めて)組合、県、市、[[第三セクター]]、民間、市と経営母体が変遷し、その途中に営業休止も経験した。また、館長が負債の個人担保をしてまで存続させたり、市民からの寄付などの支援を受けて再開館したりと、経営上の紆余曲折も経ながら、クラゲに特化した水族館として復活。今や「50万人/年度」以上を集客する[[庄内地方]]有数の観光地となった。
 
広域集客装置として観光業界から注目を受けるのはもちろん、クラゲの飼育・繁殖に関する高度な[[ノウハウ]]を持つ(水分が多いクラゲを排水溝で吸入してしまわないように水流の強さを抑えて水を循環させる「加茂式水槽」<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASKD44JV2KD4UZHB00H.html 【わがまちお宝館】加茂水族館(山形・鶴岡市)クラゲゆらり50種類]『朝日新聞』朝刊2018年4月11日</ref>など)。このため、[[海洋生物学]]研究者や世界の他の水族館からも注目を受けている。また、度重なる経営危機を乗り越えて大幅な業績回復を成し遂げたため経済界からも注目されており、経済誌からの取材を度々受けている。