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[[File:Sarajevo-jiken.png|thumb|280px|right|サラエボ事件の経緯を4段階で示した図]]
[[File:El_Archiduque_a_través_de_Sarajevo.jpg|thumb|200px|right|暗殺当日、大公夫妻を乗せてサラエボ市内を走行中のオープンカー]]
6台の車列は[[ミリャツカ川]]沿いの通り(アペル・キー)に入り、1人目の暗殺者{{仮リンク|ムハメド・メフメドバシッチ|en|Muhamed Mehmedbašić}}の前を通過した。暗殺者グループを率いる{{仮リンク|ダニロ・イリッチ|en|Danilo Ilić}}は、メフメドバシッチを爆弾で武装させ、モスタール・カフェ(Mostar Cafe)に隣接する庭の前に立たせていたが{{sfn|Dedijer|1966|p=313}}、メフメドバシッチが行動を起こせないまま車列は通り過ぎた。イリッチは{{仮リンク|ヴァソ・チュブリロヴィッチ|en|Vaso Čubrilović}}にピストルと爆弾を持たせ、メフメドバシッチの隣に配置していたが、チュブリロヴィッチもまた何もできなかった。通りのさらに先には、爆弾を持った3人目の暗殺者{{仮リンク|ネデリュコ・チャブリノヴィッチ|en|Nedeljko Čabrinović}}が失敗した2人とは反対側(ミリャツカ川側)に配置されていた。
 
午前10時10分{{sfn|Dedijer|1966|p=12}}、大公夫妻を乗せた車が接近し、チャブリノヴィッチは爆弾を投げつけた。爆弾はオープンカーの折りたたまれていた[[幌]]に当たって跳ね返り、路上に落ちた{{sfn|Albertini|1953|p=35}}。爆弾は[[時限爆弾|時限起爆装置]]によって後続車の下で爆発し、車は破壊されて走行不能となり、16-20名が負傷した。この爆発は直径30cm、深さ170mmのクレーターを残した。{{sfn|Dedijer|1966|p=12}}{{sfn|Dedijer|1966|loc= Chapter XIV, footnote 21}}。チャブリノヴィッチは自決用の毒薬([[シアン化物]])を飲み込み、ミリャツカ川に身を投げたが、古く劣化していた毒薬は嘔吐を引き起こしただけで、暑く乾燥した夏のために川の水深はわずか13cmであり、自殺は未遂に終わった<ref>Malmberg, Ilkka: ''Tästä alkaa maailmansota''. ''[[Helsingin Sanomat]]'' monthly supplement, June 2014, pp. 60-65.</ref>。チャブリノヴィッチは警察によって川から引きずり出され、拘留される前に群衆から激しい暴行を受けた。