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== 評価 ==
=== 批評 ===
本作品を評価するうえでその特徴としてしばしば挙げられるのは、女子高校生の軽音部の活動を題材としていながら、バンドものでありがちな「メジャーデビューを目指す過程での挫折と成長」「音楽性の違いによるメンバー間の対立」「本格的な恋愛関係」といったドラマチックな要素(あるいはそれを誘発しかねない男性キャラクター)が排除されていることである。このような物語性の希薄さが視聴者の一部には「どこを楽しんだらいいのか理解できない薄い作品」という印象を与える反面、[[ゼロ年代]]後半にはこれらとほぼ同様の特徴を持ったオタク系作品が、インターネット上で俗に[[空気系]]と呼ばれる形で大きくヒットを記録している<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』 8-10頁。</ref>。2007年のアニメ『[[らき☆すた (アニメ)|らき☆すた]]』を空気系の火付け役とすれば、本作品はその到達点といえる作品であるといわれることもある<ref name="prelude2011">「CYZO×PLANETS CROSS REVIEW 【ANIME】」『CYZO×PLANETS SPECIAL PRELUDE2011』第二次惑星開発委員会、2010年、86頁、ISBN 978-4905325017。</ref>。両者を比較すると、『らき☆すた』では主役級のキャラクターがオタクであると設定されていることもあってオタク文化を元ネタにしたギャグが豊富に作中に散りばめられていたのに対し、本作ではそういったオタク系のギャグ要素も排除され、純粋に「(複数の)美少女たちの日常生活」の描写にポイントを絞っている点が異なる<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』138-139頁。</ref>。
 
本作品が大きくヒットした理由も、前述の(空気系作品全般にみられるような)特徴が現代社会とマッチしていたという形で説明されることが多い。評論家の[[宇野常寛]]は、社会学者の[[北田暁大]]のいう「[[つながりの社会性]]」<ref group="注">たとえば[[携帯電話]]でのメール交換や[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]でのやりとりのように、他者と接続すること自体を目的化したコミュニケーションの連鎖のこと。</ref> が肥大化した現代社会において、そういったコミュニケーション様式を理想化して描くという形で『けいおん!』のような(つまり実質的には無内容の会話が延々と繰り返される作風の)作品が出現すると述べており<ref>[[宇野常寛]]「ポスト・ゼロ年代の想像力-ハイブリッド化と祝祭モデルについて」『[[思想地図]]〈vol.4〉特集・想像力』 日本放送出版協会、2009年、319-320頁。ISBN 978-4140093474。</ref><ref>宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』 [[幻冬舎]]、2011年、297-298頁。ISBN 978-4344020245。</ref>、大きな目標を必要としない空気系的なメンタリティはアニメ版で使用された楽曲の歌詞にも見出されるとしている<ref>宇野常寛 「[http://renzaburo.jp/contents/045-uno/045_main_014.html 5章「空気系」と擬似同性愛的コミュニケーション 1 「空気系」と萌え4コマ漫画]」『政治と文学の再設定』 [[集英社WEB文芸RENZABURO]](2011年3月18日)</ref>。
 
アニメ評論家の[[氷川竜介]]は、本作の人気の要因が、著名なアニメ制作会社がアニメ版を手掛けたことのほかにも、等身大の女子高生として描かれた主人公や作品世界の描写といった作風にあることを指摘した。音楽を志すための努力が描かれるわけでもなく男性も登場しない主要登場人物たちの日常を観察するという設定が、ヒット当時の社会に合致していたのではないかと述べている<ref name="yomiuri20090722"/>。
 
[[京都国際マンガミュージアム]]所属の研究員・伊藤遊は、[[2010年]][[10月21日]]付の[[朝日新聞]][[朝日新聞大阪本社|大阪本社]]版の夕刊における本作品への批評において「四コマ漫画の基本である「起承転結」や「オチ」が重視されていない」「ストーリーがないため、登場人物が成長しない」といった形で前述のストーリー性・成長要素の欠如を指摘しつつも、本作品のヒットを「オチも成長もない日常をユートピア的に描いた本作は、ブログやツイッターといったメディアを介し、他人の何でもない日々とゆるやかにつながりたい、と願う現代人の志向にぴったりなのかもしれない」として説明した<ref name="asahi20101021">2010年10月21日付けの[[朝日新聞]][[朝日新聞大阪本社|大阪本社]]版夕刊より引用。</ref><ref name="jcast20101022">{{Cite news |date=2010-10-22 |title=人気漫画「けいおん!」 「ストーリーも成長もない」のか |url=http://www.j-cast.com/2010/10/22078952.html?p=all |newspaper=J-CASTニュース |publisher=ジェイ・キャスト |accessdate=2011-07-10}}</ref>。
 
TBSプロデューサーの中山佳久は、本作品には通常の意味での物語性は剥奪されているように見えるかもしれないが、他愛もない会話の断片から登場人物の微妙な心理や気遣いを感じ取ることができた視聴者は素直に感動することができるのであり、本作を「なにも事件が起きない作品」と批判するのは短絡的ではないかと述べている<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』181頁。</ref>。
 
本作は延々と続いていく日常生活を描いてはいるものの、『[[サザエさん]]』のように作品内での時間経過を(1年ごとに循環させるなどして)事実上停止させて描く手法は用いられず、最終的にはヒロインたちを高校から卒業させるという形でいったん完結している。[[美術評論家]]の[[暮沢剛巳]]は、このようにあえてアニメ2期の終了とほぼ同時に原作をひとまず完結させた点が『[[あずまんが大王]]』と同様に潔いと述べており<ref>[[暮沢剛巳]] 『キャラクター文化入門』 エヌ・ティ・ティ出版、2010年、30頁。ISBN 978-4757142565。</ref>、宇野常寛は、本作のヒロインたちの楽園のようなコミュニティを強制的に終了しかねない卒業というイベントを経てもなおそれを維持できるかという主題が描かれることになるとしている<ref>宇野常寛 「[http://renzaburo.jp/contents/045-uno/045_main_018.html 5章「空気系」と擬似同性愛的コミュニケーション 5 データベースと聖地巡礼]」『政治と文学の再設定』 集英社WEB文芸RENZABURO(2011年5月27日)</ref>。なお、高校卒業後の続編(大学編)については、評論家の[[小森健太朗]]が、「〈空気系〉とは違うとこにいってしまっている」と評している<ref>[[小森健太朗]]「二〇一一年テレビアニメ作品とミステリの並行関係」『本格ミステリー・ワールド2012』[[南雲堂]]、2011年、235頁。ISBN 978-4523265030。</ref>。
 
アニメ評論家の[[古谷経衡]]は自身の個人ブログで、1期1話や2期20話で傑作の予感がしたとしながらも、全員同じ大学に進学することに失望したも評価た。「いつまでもお菓子を食ながら楽しく暮らす夢遊病者のごとき人生を歩むことを善とする、同じ女子大に進学しなければ友情が壊れてしまう程度の4人の人間関係の薄っぺらさを描写することになってしまった作品と述べている。また、「どう足掻いても3年で終わってしまう高校生活の儚さや離別によって完成する青春というテーマを踏みにじっており、無味乾燥な記号に成り果てた卒業式になってしまった述べている<ref>{{Cite web |author=古谷経衡 |date=2010-09-21 |url=http://d.hatena.ne.jp/aniotahosyu/20100921 |title=けいおん!という病。”全員女子大進学問題”を考える。 |work=アニオタ保守本流(古谷経衡 公式ブログ) |accessdate=2015-10-10}}</ref>。
 
一方、アニメ雑誌記事も手けるフリーライターの[[廣田恵介]]は自身のブログで、自身は古谷とは個人的な親交がありこれは反論ではないと前置きしつつも、古谷の評価について、物語の最後にキャラクターの成長を描かなければならないという認識がすでに[[ステレオタイプ|紋切り型]]であり、大人の社会規範に合わせて自分を適合させることを成長として描くような価値観は、現在の社会で共有されていないと指摘している<ref>{{Cite web |author=廣田恵介 |date=2010-09-20 |url=http://mega80s.txt-nifty.com/meganikki/2010/09/post-f1fc-9.html |title=抑圧が強ければ、反発が生まれる |work=550 miles to the Future |accessdate=2014-09-21}}</ref>。
 
=== 広瀬正浩の「空気系」説批判 ===
[[広瀬正浩]]は「けいおん!」が空気系で、達成する目的がない、物語性がない、無時間的である、男性不在であるとする批評に対して疑問を呈している<ref>広瀬正浩、[http://id.nii.ac.jp/1454/00001918/ 『「空気系」という名の檻 : アニメ『けいおん!』と性をめぐる想像力』]、「言語と表現―研究論集― (10)」、椙山女学園大学国際コミュニケーション学部、2013年、p.14。</ref>。
 
広瀬は物語性のなさについて、1期・1話「廃部!」で中学時代には帰宅部だった唯が、変化を求めて高校では部活を行おうとすることや、1期・14話「ライブハウス!」の劇中で澪が「こんな話ができたのも、唯やムギ、みんなのおかげかも。みんながちょっとずつ新しいドアを開いてくれる」「せっかく新しいドアを開いたんだから」とのセリフから、澪たちは1年の春から2年の冬までの間に目的の達成に向かって前進しており、「けいおん!」には目的の達成や物語が存在するとしている<ref>広瀬。2013、p.15。</ref>。
 
また無時間的であるとする指摘には、2期・20話「またまた学園祭!」で澪と唯が1・2年時の学園祭でのトラウマや失敗を引きずっていることを引き合いに出し、無時間的とする批評は当たらないとしている<ref>広瀬、2013、p.16-17。</ref>。また2期・20話のクライマックスシーンから、もう今のような日常が訪れることがないことを唯たちが理解しており、時間の有限性を自覚しているとする<ref>広瀬、2013、p.18。</ref>。