「コプト正教会」の版間の差分

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[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]を告白し、[[イエスの母マリア|マリア]]を[[神の母]]として崇敬する。『[[マタイによる福音書]]』に聖家族のエジプト逃避の記事があることから、コプト教会におけるマリア崇敬は極めて盛んである。
 
[[単性説|単性論]]を採ると言われることがあるが、コプト正教会は自身の教説が単性論と見なされるのを拒絶しており、「単性論教会」を自称しない。[[カルケドン公会議]](第四全地公会議)を承認しないことで分離した教会であるため、より中立的な呼び名・分類としては[[非カルケドン派]]がある。[[相互領聖]]関係(=教派間において、主の晩餐におけるパンとぶどう酒を互いに領食することを認めること)については、同じく非カルケドン派である[[アルメニア使徒教会]]、[[シリア正教会]]、[[エチオピア正教会]]との間で[[フル・コミュニオン]](完全相互領聖)の関係にある。ギリシャ系の正教会など他のカルケドン諸派の正教会との間においては今のところ相互領聖は認められていないが、ここ近年の関係は改善しつつあると言われている。
[[相互領聖]]関係(=教派間において、主の晩餐におけるパンとぶどう酒を互いに領食することを認めること)については、同じく非カルケドン派である[[アルメニア使徒教会]]、[[シリア正教会]]、[[エチオピア正教会]]との間で[[フル・コミュニオン]](完全相互領聖)の関係にある。ギリシャ系の正教会など他のカルケドン諸派の正教会との間においては今のところ相互領聖は認められていないが、ここ近年の関係は改善しつつあると言われている。
 
教会の代表者はアレクサンドリア教皇並びに聖マルコ大主教管区総主教([[コプト教皇]])である(但し[[アレクサンドリア総主教庁|アレクサンドリア総主教]]などは、コプト教だけではなく[[東方正教会]]などの教派ごとに存在する)。2012年3月17日、教皇であった[[シェヌーダ3世 (コプト教会アレクサンドリア総主教)|シェヌーダ3世]]が死去。2012年11月4日、第118代教皇にタワドロス主教が[[タワドロス2世]]として選出された。
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== 沿革 ==
[[Image:Archangel Michael's Coptic Orthodox Cathedral, built in the Coptic style 2006-10-EGYPT-ASWAN.jpg|left|thumb|250px|[[アスワン]](エジプト)にある、コプト正教会の聖ミカエル大聖堂の内観。正面に見えるのは[[東方正教会]]とほとんど同様の[[イコノスタシス]]。]]
伝承では[[1世紀]]([[42(42]]頃)に[[マルコ (福音記者)|マルコ]]がエジプト([[アレクサンドリア]])に立てた教会([[アレクサンドリア教会]])である。[[451年]]の[[カルケドン公会議]]の後、カルケドン派(現在のキリスト教多数派)から分かれた。カルケドン公会議に端を発するカルケドン派と非カルケドン派の対立は次第に深刻さを増し、6世紀後半には非カルケドン派の分離教会がシリアやエジプトで相次いで設立された。<ref>{{cite journal |author=貝原哲夫 |title=6-7世紀中部エジプトにおける宗教対立|journal=オリエント |issue=54 |publisher=日本オリエント学会 |date=2011 |page=76 |url=https://doi.org/10.5356/jorient.54.75 |format=PDF}}</ref>
 
現在、エジプト・[[エチオピア]]及び[[エリトリア]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[オーストラリア]]を中心に、総計5千万人のコプト系[[キリスト教徒]]がいる。エジプトにおけるコプト正教会信者の割合は、統計上5%であるが、実数は1割であるともいわれる。[[1959年]]に[[エチオピア正教会]]が分離したが<ref>{{Cite book |last= |first= |author=Edited by Philip E. Muehlenbeck |authorlink= |coauthors= |year=2012 |title=Religion and the Cold War: A Global Perspective |location= |publisher=Vanderbilt University Press |language= |page=139 |id= |isbn=978-0826518521 |quote= }}</ref>、教理上の違いはない。
 
エジプトは憲法で[[信教の自由]]を保障しており、基本的には[[ムスリム]]とコプトの間で差別はないことになっている。エジプトの[[大ムフティー]](高位のイスラム法学者、指導者)であった[[アリー・ゴマア]]は、「イスラム教徒は自由に改宗することができる」とする[[ファトワー|ファトワ]](宗教令)を2007年に出している。これを根拠としてイスラームからコプトへ[[改宗]]する者がわずかながらも出てきている。しかし、少数派という現実と、ファトワがあるとはいえイスラームからコプトへの改宗は不可能ともいえるほど難しく<ref>[http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2515496/3316304 改宗は長くつらい道のり、エジプトのあるキリスト教徒の苦闘]([[AFPBB News]]、2008年09月13日 22:11)</ref>、事実上コプトからムスリムへの改宗のみが容認されていることから、[[ズィンミー]]制度の残滓に基づく差別ではないかと国内のコプト教徒を中心に批判を浴びている。[[
{{seeslso|イスラーム教徒による宗教的迫害]]も参照。}}
[[Image:Kroeffelbach Koptisches Kloster.jpg|right|thumb|220px|[[ドイツ]]に在るコプト正教会の[[聖堂]]。]]
 
==日本国内における活動==
[[2004年]]から『聖ジョージ日本コプト正教会』が日本での礼拝を行っている。教会管区はオーストラリアのシドニー司教区に属する。日本におけるコプト信者は少人数。エジプト人、スーダン人、エチオピア人のコプト信者が留学で来日している。その他、仕事や結婚で来ているエジプト人コプト信者が日本にいる。また、エジプトにて信仰を知り、入信した日本人信者もいる。
 
[[2016年]]、京都府木津川市の旧カリスチャペル京阪奈の会堂を譲り受け、聖母マリア・聖マルココプト正教会が開設され<ref>{{Cite web|url=http://www.japancopticchurch.org/church_japan_jp.html|website=www.japancopticchurch.org|accessdate=2019-04-16|title=日本にあるコプト正教会|publisher=聖母マリア・聖マルコ日本コプト正教会}}</ref>、[[2017年]]には初めての入信者が洗礼を受けた<ref>[http://www.japancopticchurch.org/jp.html 聖母マリア・聖マルコ日本コプト正教会]</ref>。2017年8月末には、コプト正教会教皇として初めてタワドロス2世が訪日<ref>{{cite web|title=コプト正教会最高位・教皇が初めて来日|publisher=[[中外日報]] 2017年8月29日|url=http://www.chugainippoh.co.jp/religion/news/20170830-002.html|accessdate=2017-09-04|deadlinkdate=2019-4-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170904195114/https://www.chugainippoh.co.jp/religion/news/20170830-002.html|archivedate=2017-9-4}}</ref><ref>{{Cite web|title=【速報】 アレキサンドリア教皇タワドロス2世が来日 京都で礼拝と記者会見|url=http://www.kirishin.com/2017/08/27/8188/|website=キリスト新聞社ホームページ|date=2017-08-27|accessdate=2019-04-16|language=ja}}</ref>。聖母マリア・聖マルココプト正教会で礼拝を行ったほか、29日には[[河野太郎]][[外務大臣 (日本)|外務大臣]]と会見を行った<ref>{{Cite web|title=【報道発表】河野外務大臣とタワドロス2世・コプト教皇との会談|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_004949.html|website=外務省|accessdate=2019-04-16|language=ja}}</ref>。
 
== エジプトにおける事件 ==
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この事件に対し、当日にはアレクサンドリアで、翌日2日には[[カイロ]]で、コプト教徒が抗議デモを行い、参加者の一部は暴徒化した。弔問に訪れてシェヌーダ3世と会談した[[オスマーン・ムハンマド・オスマーン]]経済開発相らが乗った乗用車にも投石が行われたほか、暴徒化した1,000人ほどが現地警察機動隊と衝突し、投石が行われた。警察官40人ほどが軽傷を負ったと報道されている<ref name="afpbb20110103" />。
 
1月2日には、犠牲者を悼む礼拝がアレクサンドリアの教会で行われた。このとき教会前で爆発事件に対する抗議デモを行っていた数百名が警察に排除され、近くのゴミ箱に火をつけるなどの騒ぎがあった<ref name="afpbb20110103" />。捜査当局は約20人を拘束して取調べを行っているが、1月2日の段階で事件への直接的関与を示す証拠は出ていない<ref name="afpbb20110103" />。[[ホスニー・ムバーラク]]大統領は、今回の事件に外国人が関与していることを述べ、内務相は[[アルカーイダ]]など外国のイスラム系武装勢力が関与している蓋然性を示唆している<ref name="afpbb20110103" />。
 
捜査当局は約20人を拘束して取調べを行っているが、1月2日の段階で事件への直接的関与を示す証拠は出ていない<ref name="afpbb20110103" />。
 
[[ホスニー・ムバーラク]]大統領は、今回の事件に外国人が関与していることを述べ、内務相は[[アルカーイダ]]など外国のイスラム系武装勢力が関与している蓋然性を示唆している<ref name="afpbb20110103" />。
 
エジプトのメディアは、エジプト国内のムスリムとキリスト教徒が衝突が拡大すれば宗教的内戦の危険があると懸念し、エジプト人口8,000万人のうち約1割を占めているコプト教会信徒が少数派として差別されていると訴えている現状につき、政府は改善を行うべきであると提言している<ref name="afpbb20110103" />。
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* [http://www.coptic.net/ The Christian Coptic Orthodox Church Of Egypt]
* [http://www.h5.dion.ne.jp/~copts/index.html Egyptian Christianity](日本語)
 
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