「インディカ米」の版間の差分

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日本に輸入されるインディカ米の用途は、[[タイ料理]]飲食店用の食材と加工原料用([[味噌]]、[[泡盛]]、[[煎餅]]等)が主体で、主食用としての需要はほとんどなく、一般米穀店やスーパーの店頭では、稀に見る程度である。
 
中国・東南アジア産のインディカ米は明治時代から日本に輸入され「南京米」の名称で流通した。しかし日本人には生産地のように米を調理する食習慣がなく、また調理の方法も知らず適切な調理が行われなかった。消費者が国産米と同じように炊飯して食べようとしたことから、パサパサした食感と、独特のにおいが不評であった<ref>「自分は…光沢のない飯を一口掻き込んだ。すると…舌三寸の上だけへ魂が宿ったと思うくらいに変な味がした。飯とは無論受取れない。全く壁土である。この壁土が唾液に和けて、口いっぱいに広がった時の心持は云うに云われなかった。…自分が南京米の味を知ったのは、生れてこれが始てである」  - [[夏目漱石]]『[[坑夫]]』 [[1908年]](明治41年)</ref>。そのため最下層の貧民の食物として流通し、戦中戦後の食糧難の時代に、不足する国産米の代用として消費されるのみであった。また刑務所の食事は本来麦飯であるが、予算やその時代の食料事情によっては南京米の「臭い飯」が囚人に出された<ref>[[堺利彦]]等の獄中記に記述あり</ref>。戦後、食糧生産が回復して米不足が解消してからは需要もなくなり、また[[日本政府]]は昭和40年代([[1965年]]-[[1974年]])初頭に米の自給が実現できるようになった頃から国内農業保護のために米輸入を原則禁止した。
 
[[1993年]](平成5年)は記録的な冷夏で、国内産の米は需要1000万トンに対し収穫量が800万トンを下回る大不作となり、[[1993年米騒動|平成の米騒動]]に見舞われた。日本政府は米の緊急輸入を行う必要に迫られ、1993年12月、[[関税及び貿易に関する一般協定|GATT]]の[[ウルグアイ・ラウンド]]農業合意を受け入れ、米以外の農産物は関税を課して輸入を認めることを決定した。米については国内農業への配慮から特例として輸入制限を維持したが、代償として最低、国内消費量の4%(のち8%に拡大)を輸入する義務を負った。同年、タイや中国から大量のインディカ米が緊急輸入されたが、前述のとおり日本人の嗜好や伝統的な調理法に合わないことから消費は伸びず、事態終息後にも約100万トンものインディカ米の在庫が残り、投棄されたり家畜の飼料にされて処理された。
 
現在、ウルグアイ・ラウンド合意に基づいて日本は年間最低77万トンの米([[ミニマムアクセス]])を輸入する義務を負っている。日本政府は義務的に輸入したインディカ米の消化に苦慮しており、加工用として売れ残ったインディカ米は、外国への食糧援助用に転用したり、一部は飼料用として備蓄される。1995-2004年まで集計した輸入インディカ米の用途は、加工原料用が212万トンで最も多く、ついで外国への食糧援助向けの182万トンである。主食用に輸入されている59万トンは中国北部やアメリカ産のジャポニカ米であるが、おもに外食産業で業務用に用いられ、家庭用としての消費はほとんどない<ref>農林水産省「米穀の需給及び価格の安定に関する基本指針」2005年</ref>。
 
== インディカ米を扱った作品 ==