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近年の日本国内では、[[第二次世界大戦]]後の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の占領下で治安が悪化していた混乱期に、[[イギリス軍]]と[[アメリカ軍]]の占領地域となった[[瀬戸内海]]で海賊事件が続発した事がある。例として[[1948年]]12月-[[1949年]]2月の3ヶ月間だけでも、[[1948年]]12月19日に[[香川県]]の高見島付近で、12月21日には[[岡山県]]の[[児島市]]で、[[1949年]]1月29日には[[香川県]]の[[粟島 (香川県)|粟島]]付近で、2月1日には岡山県の石島で、2月4日には岡山県の[[牛窓町]]付近で、それぞれ船舶が襲われるなど、この時期の瀬戸内海では海賊事件が続発していた。
 
瀬戸内海同様、米軍占領下の[[横浜港]]でも海賊行為が横行していた。横浜では海賊行為は「荷抜き」あるいは「抜荷」と呼ばれた。これは船の荷のほんの一部だけを強奪するという手口に由来している。なぜ船ごと奪わずこうした方法をとったかといえば、横浜での海賊行為は港の[[検数員]]を抱き込んでいる場合が多く、積み荷全体の二割までであれば[[海上保険]]が適用されたため、大事に至らずに済んだためだと考えられる。横浜港の[[接収]]解除が進んだのが昭和30年頃だったせいもあり、「荷抜き」は昭和30年代初頭までつづいた<ref>檀原照和・著「消えた横浜娼婦たち」(データハウス 2009年)P134〜136</ref>。

現代の海賊はハイテク武装をしており、通信[[トランシーバー (無線)|トランシーバー]]や小型の[[高速艇]]や[[マシンガン]]を使い、航行する[[タンカー]]や[[商船]]・[[漁船]]を狙って出没する。これは、操船の自動化が進んだことにより石油[[タンカー]]などの大型船舶の操縦が少人数でも可能となり、乗組員が少なくなったため襲撃と船内の制圧が行いやすくなったことも関係している。
 
海賊事案の発生状況は、[[海上保安庁]]が発する「[[航行警報]]」により知ることができる。