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貧しい黒人家庭で、7人兄弟の5番目の子供として生まれる。成長期は喧嘩・飲酒・窃盗に明け暮れる不良少年で、中学校もまともに卒業していない。16歳の頃、偶然テレビで目にした「君にもセカンドチャンスがある!」という広告にひかれ、[[リンドン・ジョンソン]]大統領が貧民救済策として創設した職業部隊{{enlink|Job Corps}}に加入。職業訓練を受けながらボクシングと出会い更生する<ref name="nikkeibp20090910">{{cite news |title=チャンピオンは諦めない。フォアマンが挑む子どもたちの心 |newspaper=[[日経ビジネス]]|date=2009-9-10 |url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20090903/204002/ | accessdate=2014-1-25}}</ref>。
 
名伯楽ディック・サドラーの指導受けアマチュアボクシングを始めてから2年足らずで国内選考会を勝ち抜き、[[メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]]の[[メキシコシティオリンピックにおけるボクシング競技|ボクシング]]ヘビー級米国代表選手に選ばれる。[[1968年]]10月、[[ソビエト連邦]]代表の[[イオナス・チェプリス]]をKOで破り金メダルを獲得する。
 
=== プロデビューからヘビー級チャンピオンへ ===
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[[1994年]]11月5日、WBA・IBF世界ヘビー級王者[[マイケル・モーラー]]に逆指名され、復帰後3度目のタイトルマッチに臨む。劣勢の中で10Rに逆転の右ストレートでモーラーをKOし、20年ぶりにヘビー級タイトルへの返り咲きを果たした。45歳9カ月での戴冠は[[ボブ・フィッシモンズ]](ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった(2011年に[[バーナード・ホプキンス]](ライトヘビー級)が46歳4カ月で更新)。勝利の瞬間、フォアマンはコーナーポストの前で跪き、神に感謝した。
 
[[1995年]]3月、WBAから指名された[[トニー・タッカー]]との対戦を拒否し、WBAタイトルを剥奪される。同年4月、[[アクセル・シュルツ]]を破り、IBF王座防衛とともに[[世界ボクシング連合|WBU]]世界ヘビー級タイトルを獲得。同年7月、IBFから指名されたシュルツとの再戦を拒否し、IBFタイトルも剥奪される。この試合の同時期に[[平和のための平壌国際体育・文化祝典]]で主催の[[新日本プロレス]]の創始者・[[アントニオ猪木]]は当初、フォアマンとの対戦を希望したがフォアマンは「とんでもない。北朝鮮になど行かない。俺は第一に愛国者、第二にボクサーだ。わが国が北朝鮮と外交関係を持っていない以上、俺がそこに行くなんてありえない」と拒否。1974年[[キンシャサの奇跡]]で最初に世界王座君臨していたフォアマンをKOして世界王座奪取し1976年猪木と対戦したアリが来賓として参加
 
[[1996年]]11月3日、[[東京ベイNKホール]]でクロウフォード・グリムスリーと対戦し([[東日本ボクシング協会]]代表経験者[[木村七郎]]がプロモーターライセンス名義貸しせず[[日本ボクシングコミッション|JBC]]非公認試合・[[日本IBF]]協力)、WBU王座防衛とともに[[国際ボクシング協会 (IBA)|IBA]]世界ヘビー級タイトルを獲得(その後、IBAタイトルを返上)、TBSで放送され解説は[[二宮清純]]と猪木が務めた。[[1997年]]4月26日、ルー・サバレーセを破りWBU王座を防衛するがこれも返上する。
 
1997年11月22日、WBC世界ヘビー級王者[[レノックス・ルイス]]への挑戦権をかけて[[シャノン・ブリッグス]]と対戦し、12R判定負け。以後、リングから遠ざかるが、正式な引退表明はしていない。
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* IBA世界ヘビー級王座
* WBU世界ヘビー級王座
* 第5代[[世界ボクシング協会|WBA]]世界ヘビー級王座(1度目は防衛2度、2度目は防衛0度)
* 第4代[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界ヘビー級王座(防衛2度)
* 第23代WBA[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界ヘビー級王座(防衛01度)
* 第11代[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界ヘビー級王座(防衛1度)
 
== エピソード ==
*[[ヒューストン・アストロズ]]の熱烈なファンで知られ、[[ノーラン・ライアン]]との親交深い。
*1968年のメキシコ五輪で金メダルを獲得した時、フォアマンは[[星条旗]]の小旗を振って喜びを表した。しかし、当時のアメリカでは[[黒人差別]]への抗議活動がスポーツ分野にも及んでおり、男子200m走の表彰式では金・銅メダルの[[トミー・スミス]]と銅メダルの[[ジョン・カーロス]]が黒い手袋をつけた拳を掲げるデモンストレーション([[ブラックパワー・サリュート]])を行い、大会から追放された。フォアマンの行為は偽善愛国者と誤解され、同胞の黒人から非難されてしまった<ref>[[原功 (ボクシング)|原功]] 『ボクシング名勝負の真実 世界編』、ネコ・パブリッシング、2006年、194-195頁。</ref>。
* ボクシングで稼いだ金を更生施設の建設につぎ込むなど、社会奉仕活動を積極的に行う人柄が人々から慕われ、体と器の大きさを讃えて「'''ビッグ・ジョージ'''」という愛称を持つ<ref name="nikkeibp20090910" />。
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{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふおあまん しよおし}}
 
[[Category:アメリカ合衆国の男子ボクサー]]
[[Category:アフリカ系アメリカ人のボクサー]]
[[Category:オリンピックボクシングアメリカ合衆国代表選手]]