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'''オートジャイロ'''(autogyro / autogiro)とは、[[ヘリコプター]]や[[フェアリー・ロートダイン]]などと同様、[[回転翼機]]に分類される[[航空機]]を言う。'''ジャイロコプター'''(gyrocopter / girocopter)や'''ジャイロプレーン'''(gyroplane / giroplane)とも呼ばれる。また通称で'''ジャイロ''' (giro) と呼ばれることもある<ref>ジャイロの英語表記は''gyro''であるものの、発明者が造語の''giro''で商標登録をすませたため、こういった表記になった。</ref>。
 
[[マンチェスター大学]]の研究生[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]]が翼端噴流式(tip-jet)の特許を1911年に取得<ref>[[#アレグザンダー(2008)|アレグザンダー(2008)]] p.66</ref>したことに始まる。
== 概要 ==
オートジャイロは、1903年のライト兄弟の初飛行の8年後の1911年に、マンチェスター大学の特別研究生として航空工学を専攻していた[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]]が、当時としては実用性はなかったものの、翼端噴流式(tip-jet)の機構を考案のうえ特許を取得した<ref>[[#アレグザンダー(2008)|アレグザンダー(2008)]] p.66</ref>ことに始まると考えられる<ref>その後すぐイギリス、オーストリアウィーン出身の移ったウィトゲンシュタインは、イギリスに移り哲学者に転身することとなった。しかしながらオーストリアの親族からのり、哲学者として評価はあまりよいものでは世界に多大かっ影響を与えた。[[#アレグザンダー(2008)|アレグザンダー(2008)]] p.202</ref>。実際に離陸する最初のオートジャイロは[[スペイン|スペイン人]]の[[フアン・デ・ラ・シエルバ]]が開発し、[[1923年]][[1月17日]]に初飛行を成功させた<ref>シエルバはその後、[[イギリス]]でシェルバ社を設立し、多くの成功機を生み出した。日本でも[[朝日新聞社]]がシエルバ社のオートジャイロを購入し、「空中新道中膝栗毛」というコーナーを連載した。イギリスの[[アブロ|アヴロ]]社や[[アメリカ合衆国]]の[[ケレット社]]などで開発が続けられたが、市場は収束の方向に向かい、ヘリコプターなどの生産に移った。</ref>。
[[ファイル:Ludwig Wittgenstein 1910.jpg|サムネイル|255x255ピクセル|翼端噴流式(tip-jet)考案者のウィトゲンシュタイン([[1910年]])]]
オートジャイロは、1903年のライト兄弟の初飛行の8年後の1911年に、マンチェスター大学の特別研究生として航空工学を専攻していた[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]]が、当時としては実用性はなかったものの、翼端噴流式(tip-jet)の機構を考案したことに始まると考えられる<ref>その後すぐに、オーストリアウィーン出身のウィトゲンシュタインは、イギリスに移り哲学者に転身することとなった。しかしながらオーストリアの親族からの哲学者としての評価はあまりよいものではなかった。[[#アレグザンダー(2008)|アレグザンダー(2008)]] p.202</ref>。実際に離陸する最初のオートジャイロは[[スペイン|スペイン人]]の[[フアン・デ・ラ・シエルバ]]が開発し、[[1923年]][[1月17日]]に初飛行を成功させた<ref>シエルバはその後、[[イギリス]]でシェルバ社を設立し、多くの成功機を生み出した。日本でも[[朝日新聞社]]がシエルバ社のオートジャイロを購入し、「空中新道中膝栗毛」というコーナーを連載した。イギリスの[[アブロ|アヴロ]]社や[[アメリカ合衆国]]の[[ケレット社]]などで開発が続けられたが、市場は収束の方向に向かい、ヘリコプターなどの生産に移った。</ref>。
 
固定翼の代わりに回転翼を装備し、見た目はヘリコプターにも似ている。しかし構造的には異なっている。ヘリコプターは動力によって回転翼を直接回転させるが、オートジャイロの場合回転翼は駆動されていない。この回転翼は、前進する機体に対し、鉛直上向きより後傾した回転軸の回りに自由に回転できるよう取り付けられている。回転翼は、何らかの推進力(飛行時に動力駆動される別のプロペラによる推進力など)で機体が前進して生じる相対的な[[気流]]を下前方から受け、受動的に回転する。この回転により[[揚力]]が生じるため機体の飛行が可能となる。ヘリコプターでは回転翼の動力駆動による下向き気流が機体全体の揚力を生じているのに対し、オートジャイロでは回転翼の下面側から上面側に気流が流れる事により揚力を生じる。
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日本では、[[ジェット機]]時代の到来を予測し[[かつをどり (航空機)|無尾翼ジェット機]]の試作に関心を寄せていた[[萱場資郎]]が、ジェット機研究を踏まえて手始めに萱場式オートジャイロの開発にとりかかる。[[太平洋戦争]]へ突入する[[1942年]]12月には[[KYB]]の前身である萱場製作所の仙台製造所にてオートジャイロの生産をはじめる<ref>{{Cite journal|和書 |author=[[鶴本勝夫]]
|date=2012-04-01 |title=東北学院理工系教育機関の系譜とその人脈 =押川方義の創立理念= 「東北をして日本のスコットランドたらしめん」が底流に
|journal=東北学院資料室 |url=http://www.tohoku-gakuin.jp/archives/data/archives_20120401.pdf|format =PDF |issue=16 |page=21 |publisher=[[東北学院]] |accessdate =2012-06-25}}</ref>。 [[太平洋戦争]]中には、[[大日本帝国陸軍|旧日本陸軍]]の依頼で[[カ号観測機]]と呼ばれるオートジャイロを当時の萱場製作所が製造し、陸軍の[[弾着観測]]や、[[大日本帝国海軍|海軍]]の[[対潜哨戒機|対潜哨戒]]に充てていたことが知られている<ref>当時から長大な滑走路を必要とする飛行機の不便さは認識されていた。例えば、昭和18年(1943年)三月の第八十三帝国議会予算委員会で、東条英機首相兼陸相は、”航空機増産計画はどうなっているか、また新兵器開発状況はどうなっているか?”という質問に対して次のように回答している。
{{quotation|
「飛行機と申すものは、長大な滑走路と広い飛行場とを必要とするものでありまして、飛ぶにも降りるにもこれを絶対に不可欠のものとしておるのが今日の飛行機であります。また空中活動にいたしましても操縦士の意の如く自由に方向を変えるというわけにはまいりません。また好む場所に好むとき舞い降りることも不可能でありまして、考えてみますと、文明の利器とは申せまことに不自由なものと言わざるを得ません。鳥やコウモリは滑走路も飛行機も必要とせず、好きなとき好きな方向に空中転換が出来、また好きな場所に舞い降りることができる。かような飛行機が出来ないものかと考えている次第であります。」
}} [[#渋谷(1972)|渋谷(1972)]] はじめに
</ref>。
 
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