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=== 江戸時代 ===
[[ファイル:Lady playing koto.jpg|サムネイル|[[長谷川雪堤]]画]]
雅楽の「楽箏」に対し、近世の[[箏曲]]は「[[俗箏]](「ぞくそう」または「ぞくごと」)」と呼ぶ。
 
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=== 近代 ===
[[ファイル:Koto lesson.jpg|サムネイル|琴の練習風景。大正時代]]
明治時代以降は当道制度が廃止され、盲人以外の一般にも箏の演奏が職業として認められた。この頃作曲された作品を「明治新曲」と呼ぶが、<!-- 一般的な[[明治維新]]の印象とは異なり-->[[西洋音楽]]の影響はまだ少なく、また当時流行していた[[明清楽]]の影響も見られる。ただし国民思潮全般が維新による革新的思想であふれていた時代であり、また盲人以外にも広く箏曲が解放され多数の人間が箏曲界へ参入したこともあって、多くの曲がこの頃作られた。特に大阪において非常に盛んであり、これらを「明治新曲」と総称している。しかしこの頃のレパートリーは現在の奏者にとって満足できるレベルで作曲された楽曲は少ないとされる。ただこの時期独特の清新な雰囲気もあり、西山徳茂都(とくもいち)の『秋の言の葉』、松坂春栄の『楓の花』、菊末検校の『嵯峨の秋』、菊塚与一の『明治松竹梅』などは現在でも良く演奏される。また寺島花野の作品『白菊』など、現在では忘れられかけている佳曲も少なくない。山田流においても『都の春』などの曲が作られている。