「コンスタンティヌス1世」の版間の差分

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==== その他の子孫および親族 ====
コンスタンティヌス1世には2人の娘がいた。一人は先述の{{仮リンク|コンスタンティナ|en|Constantina}}(307年以後から317年以前 - 354年)であり、もう一人は[[ユリアヌス]]帝の妻となったヘレナである。ヘレナはユリアヌスの子の流産と死産を繰り返した後は健康が優れず、[[ガリア]]の地で360年に亡くなった(没年齢は不明)。この死産時の子供達以外にこの2人の間に子女は確認できない<ref name="松原2010p1498">[[#松原 2010|西洋古典学事典]], p. 1497 コンスタンティヌス朝朝関係系図より</ref><ref name="ギボン1996p171_172">[[#ギボン 1996|ギボン 1996]], p. 180</ref><ref name="アンミアヌスマルケリヌス">[[#アンミアヌス・マルケリヌス|ローマ帝政の歴史]]</ref>。コンスタンティナは初め、アルメニア王位を約束されていた副帝[[ハンニバリアヌス]]と結婚、337年に[[ハンニバリアヌス]]がコンスタンティウス2世に殺害された後は未亡人となってローマに居を移し、同母兄弟コンスタンス1世を殺害した[[マグネンティウス]]と連絡を取り合って接近した。動機は夫を殺されたこと、アルメニア王妃地位を奪われたことでありコンスタンティウス2世を憎悪していた。マグネンティウスと結婚すれば、帝国西方の支配者の妻となれるという計算もあったのかもしれない{{要出典|date=2019年3月}}。マグネンティウスにとっても、コンスタンティヌス1世の実の娘を妻とするメリットを知っていた<ref name="ギボン1996pp143_144">[[#ギボン 1996|ギボン 1996]], p. 143_144</ref>。この策略を阻止する為にコンスタンティウス2世は351年にコンスタンティナをユリアヌスの異母兄であり副帝に任命した[[コンスタンティウス・ガッルス]]と再婚させた。彼女は一人娘アナスタシアを儲けたが、このアナスタシアの生涯については、両親が結婚した351年から父ガッルスが殺害される354年の間に生まれたということや結婚してその血筋が[[東ローマ帝国]][[皇帝]][[アナスタシウス1世]]とその弟妹(及び弟妹の子孫)に繋がったこと以外、知られていない(もしくはそれしか推測できない){{要出典|date=2019年3月}}。354年、ガッルスはコンスタンティウス2世からミラノへ招聘された。ガッルスは招聘が召喚であることを分かっており、コンスタンティウス2世の実の姉妹だからと、妻コンスタンティナを弁護役にし、先にミラノへ発たせた。しかし、コンスタンティナはシリアからイタリアへの長旅の途中で病に倒れ、病死した(没年齢は不明)。ガッルスも宦官エウセビウスの策略により[[ポーラ]]で処刑された<ref name="ギボン1996pp171_172">[[#ギボン 1996|ギボン 1996]], p. 171_172</ref>。残されたユリアヌスも363年のペルシア戦役にて投槍を受け、陣中で死去<ref name="南川2015p95">[[#南川 2015|南川 2015]], p. 95</ref>。後継にはユリアヌスとは血縁が無い[[ヨウィアヌス]]が選ばれ、コンスタンティヌス朝は断絶した<ref name="スカー1998p287">[[#スカー 1998|スカー 1998]], p. 287</ref>。
 
その後も、女系ではコンスタンティヌス朝の血統は存続した。ヨウィアヌスの後を継いだ[[ウァレンティニアヌス1世]]の後妻ユスティナは、ユストゥスという男性とガッルスの同母姉妹(ユリアヌスの異母姉妹)の娘でマグネンティウスの妻だった女性であり、ウァレンティニアヌス1世との間に、[[ウァレンティニアヌス2世]]、グラタ、ユスタ、ガッラの1男3女を儲け、ガッラは[[テオドシウス1世]]の後妻となり、グラティアヌス、[[ガッラ・プラキディア]]、ヨハネスの2男1女の母となった<ref name="松原2010p1498">[[#松原 2010|西洋古典学事典]], p. 1498 テオドシウス朝関係系図より</ref>。この内、ガッラ・プラキディアのみが子孫を残し、その血筋は少なくとも6世紀の終わりまで、コンスタンティノープルのローマ貴族の諸家系と婚姻を結んでいる<ref name="松原2010p1498"/>。一方、コンスタンティウス2世の一人娘で、その死後に生まれたフラウィア・マクシマ・コンスタンティアは皇統の連続性と継続性を示す為にウァレンティニアヌス1世の長男でウァレンティニアヌス2世の異母兄[[グラティアヌス]]と結婚。男子を儲けたが、この男子は夭折した<ref name="松原2010p1498"/>。
 
== 統治 ==
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