「長徳の変」の版間の差分

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花山法皇は出家の身での女通いが露見する体裁の悪さと恐怖のあまり口をつぐんで閉じこもっていたが、この事件の噂が広がり、これを政敵の[[藤原道長]]に利用される形となり、先ず隆家が4月に[[出雲国|出雲権守]]に左遷された。伊周は勅命によるもの以外は禁止されている呪術である[[大元帥法]]を密かに行ったとして、[[大宰権帥]]に左遷された。どちらも実質的な配流である。その他中関白家に連なる面々が連座して処断され、また姉弟であった[[一条天皇]][[中宮]][[藤原定子|定子]]の落飾の遠因ともなった。
翌年から数年後には許され都に戻されているが、以降において伊周ら中関白家が道長に政治的に勝つことは無かった。
 
「長徳の変の黒幕」と衆目の一致する所であった道長は、後年、[[賀茂神社|賀茂]]詣のついでにわざわざ隆家を招いて同車させ、その弁明に努めている。
 
なお、藤原儼子はのちに花園院の死後、藤原道長の妾となり懐妊するが、出産時に死亡している。