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'''松任谷 由実'''(まつとうや ゆみ、[[戸籍]]名:同じ、[[1954年]]([[昭和]]29年)[[1月19日]] - )は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]。[[旧姓]]名および旧[[芸名]]は'''荒井 由実'''(あらい ゆみ)。1972年にシングル「[[返事はいらない]]」で荒井由実としてデビュー。[[愛称]]は「'''ユーミン'''」。[[紫綬褒章]]受章者(2013年)。公式ファンクラブは「Yuming Fan Club」。所属レコード会社は[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]](旧:[[EMIミュージック・ジャパン]])。
 
他[[芸術家|アーティスト]]への作品提供の際には、本名のほか、'''呉田 軽穂'''(くれだ かるほ)という[[ペンネーム]]を使用する場合もある{{refnest|group="注"|[[グレタ・ガルボ]]が由来という説がある<ref>[http://www.at-s.com/sbsradio/program/love/2011/01/118.html SBSラジオ GOGOワイドらぶらじ 「2時のうんちく劇場」2011年1月18日]{{リンク切れ|date=2017年11月}}</ref><ref>[http://asahi.co.jp/call3/diary/yamaken/essay_39.html おはようコールABC 雑感・戦後日本の世相と流行歌(39)]</ref>。}}。夫は[[アレンジャー]]・[[松任谷正隆]]で、彼女の[[音楽プロデューサー]]を務める。[[ABO式血液型|血液型]]は[[ABO式血液型|O型]]。
 
オリコンでは、女性最多となるアルバムミリオン「通算10作」、アルバム首位「通算24作目」、アルバム1位獲得最年長記録(女性1位の64歳3月、歴代2位)の記録を持つ。1970・1980・1990・2000・2010年代と5つの年代10連続でアルバム売上首位を獲得(歴代1位)。[[徳永英明]]、[[桑田佳祐]]、[[山下達郎]](3人とも1980・1990・2000・2010年代)が保持していた記録を塗り替えた。
 
毎年[[新潟県]]の[[苗場プリンスホテル]]で開催される冬のコンサートSURF&SNOW in Naebaでは、自身が持つ同一会場でコンサートを行う女性アーティスト1位の記録を毎年更新。
 
== 人物 ==
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名前は「ゆみ」と読んで「'''由実'''」と書くが、時々「'''由美'''」と書き間違えられている。
 
愛称の「'''ユーミン'''」は、デビュー以前の14歳のころ、[[ムーミン]]にちなみ当時親しかった[[シー・ユー・チェン]]が呼び始めたことに由来。
 
ユーミンと呼ばれるようになった14歳のころ、初めて作曲した。EMIJ在籍時代の後輩にあたる[[安室奈美恵]]がデビューした年齢と、[[宇多田ヒカル]]が初めて作詞・作曲をした年齢も同じく14歳で、2018年4月7日放送の[[嵐にしやがれ]]で[[ミッツ・マングローブ]]が彼女らの名を挙げて「世の中の天才と呼ばれる人の多くは何かが14歳で起きている」と言及している<ref>[https://a.excite.co.jp/News/entertainment_g/20180409/Jisin_33830.html ユーミン、安室、宇多田…天才たちに共通する“14歳の転機”] exciteニュース(2018年6月14日閲覧)</ref>。ちなみに宇多田とは[[誕生日]]が同じである<ref>{{Twitter status|@hikki_staff|274342031663439873}}</ref>。
 
[[2012年]]、歌手デビュー40周年として発売された[[日本の恋と、ユーミンと。]]がオリコン1位を記録し、CDアルバム売り上げ枚数は、ソロアーティストならびに女性アーティスト史上初の30003,000万枚を突破。のちに100万枚(ミリオン)の売り上げを達成した。
 
[[2016年]]、オリジナルアルバム38枚目として発売された[[宇宙図書館]]がオリコン週間アルバムチャートで、初登場1位を記録。1位を記録したことによってアルバム首位獲得数が通算23作目となり、自身が持つ、女性およびソロアーティストの最多アルバム首位「通算22作」を「通算23作」に更新した。また、62歳10か月での首位獲得により、女性アーティストの歴代最年長記録を更新した。
 
[[黒柳徹子]]の[[物真似|ものまね]]が得意で、黒柳が司会を務めた[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]あなたとともに50年 今日はテレビの誕生日([[2003年]][[2月1日]]放送)に出演した際、本人の前でそれを披露した。ちなみに、[[テレビ朝日]][[徹子の部屋]]には出演歴はないが、最終回への出演を希望している<ref group="注">松任谷の[[冠番組]]『[[オールナイトニッポンTV]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])に黒柳がゲスト出演した際に、黒柳に「最終回に出たい」と発言した。</ref><ref name="gruri08100815">[http://www.dailyshincho.jp/article/2015/08100815/?all=1 黒柳徹子『徹子の部屋』の最終回ゲストは「あの人」に決まっている] 「[[週刊新潮]]」2015年8月6日通巻3000号記念特大号より - デイリー新潮(2016年3月25日閲覧)</ref>{{refnest|group="注"|ちなみに2015年6月2日放送回にて、ゲストの[[Char]]がそのことを語っている<ref>{{Cite news|url=http://datazoo.jp/tv/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B/861930|title=徹子の部屋<nowiki>|</nowiki>2015/06/02(火)放送|work=TVでた蔵|publisher=株式会社ワイヤーアクション|date=2015-06-02}}</ref>。}}。
 
現在のレギュラーは、TOKYO FM / JFN「松任谷由実のYuming Chord」毎週金曜11:00〜11:30。
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「[[中央フリーウェイ]]」などの曲もあるが、自身は「自動車の運転免許を持っていない」と語っている。また、松任谷由実のオールナイトニッポンTVにて、「原付の無免許運転で二回捕まり、錦糸町の簡易裁判所で簡易裁判を受けた」と語っていた。
 
[[2018年]][[4月11日]]発売のユーミンからの、恋のうた。が発売初週に10.8万枚を売り上げ、初登場1位を記録。2016年に自身が前作[[宇宙図書館]]で記録した女性アーティスト最年長記録を64歳3月に更新した。同時にアルバム首位獲得数は通算24作となり、自身が持つ女性アーティストならびに男女通じてソロアーティスト歴代最多記録も更新した。また、このアルバムとともに前ベストアルバム「日本の恋と、ユーミンと。」が8位にランクインし、ランキングトップ10に2作同時ランクインの記録も打ち立てた。
 
== 経歴 ==
{{出典の明記|section=1|date=2009年12月18日 (金) 00:04 (UTC)|ソートキー=人}}
=== 荒井由実時代 ===
1954年1月、[[東京都]][[八王子市]]で[[1912年]]から続く、老舗の[[呉服]]店・荒井呉服店で、三男二女の第四子(二女)として生まれる。6歳から[[ピアノ]]、11歳から[[三味線]]、14歳から[[ベース (弦楽器)|ベース]]を始めた。
 
中学時代にはカツラを購入し、寝てるように家族には見せかけ内緒で当時国内外の文化人が集まるサロン的存在だった[[港区 (東京都)|港区]][[麻布台]]3丁目(1969年まで麻布飯倉片町8番地の住所表記だった場所)のイタリアンレストラン「[[キャンティ (イタリア料理店)|キャンティ]]」に出入りしており、また[[フィンガーズ]]の追っかけもしていた。のちに同レストランに集まったアーティストから[[アルファレコード]]が生まれ、デビューのきっかけを作った。また高校にかけては、[[御茶の水美術学院]]に通い、年長の同窓生の影響で[[アルチュール・ランボー]]、[[ジャック・プレヴェール]]を愛唱、多大な影響を受ける<ref>自著『ユーミンとフランスの秘密の関係』(CCCメディアハウス)</ref>。
 
14歳のころ、当時親しかった[[シー・ユー・チェン]]が、荒井を「ユーミン」と呼び始め、これがのちに愛称として定着。
 
<!--14歳の時、プロとしての初めての仕事でスタジオでのピアノ演奏をした。以後、スタジオで演奏をしながらオリジナルの曲を書き、15歳で[[作詞家]]としてデビューし、-->[[1971年]]に17歳で[[作曲家]]としてデビューした。その作品は彼女を本格的なデビューへと誘った[[かはしかつみ|加橋かつみ]](元[[ザ・タイガース]])へ提供した「愛は突然に…」である(当作品はリリース数年前、14歳当時の作曲)。
 
[[染色]]の専攻を志し、[[1972年]]4月に[[多摩美術大学]]に入学。はじめは作曲家志望だったが、[[アルファレコード]]を設立した[[村井邦彦]]の勧めで、同年7月5日に[[かまやつひろし]]がプロデュースしたシングル「[[返事はいらない]]」で'''荒井由実'''としてデビュー。しかし同シングルは数百枚しか売れなかった。[[1973年]]11月にファーストアルバム[[ひこうき雲 (荒井由実のアルバム)|ひこうき雲]]を発売、[[TBSラジオ]]の深夜放送番組[[パックインミュージック]]金曜日第2部を担当していた[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]の[[林美雄]]の絶大な支持を受けて知名度が上がり、翌[[1974年]]より本格的にステージ活動を開始する。
 
2012年 - 2013年の特番と[[SONGS (テレビ番組)|SONGS]]で、「立教女学院の[[パイプオルガン]]、[[プロコル・ハルム]]に強い衝撃を受けた」と語り<ref>{{Cite web |date=2012-11-30|url=http://www.nhk.or.jp/fm-blog/1000/139154.html|title=『松任谷由実 デビュー40周年 はてない夢の旅』|publisher=NHK |accessdate=2014-3-25}}</ref><ref>{{Cite web|date=2013-11-22|url=https://www.nhk.or.jp/songs/special/131122.html|title=SONGSスペシャル松任谷由実〜生きるよろこび歌にこめて〜|publisher=NHK |accessdate=2014-3-24}}</ref>、確かに「ひこうき雲」はプロコルを髣髴とさせるメロディーラインを持っている。また「[[キーボード (楽器)|キーボード]]での[[ロック (音楽)]]ができるかもしれない」と思ったとも語っている。
 
[[1975年]]10月発売のシングル「[[あの日にかえりたい]]」([[TBSテレビ|TBS]][[ドラマ]][[家庭の秘密]]主題歌)が、初の[[オリコンチャート]]1位を獲得(それ以前にも[[バンバン (フォークグループ)|バンバン]]への提供曲の「[[『いちご白書』をもう一度]]」が1位を獲得している)、[[1976年]]のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第一次ブームを迎える。
 
=== 松任谷由実時代 ===
[[1975年]]12月にアレンジャー・[[松任谷正隆]]と婚約、[[1976年]][[11月29日]]に[[カトリック山手教会|横浜山手教会]]にて結婚。本人は引退する考えだったが、専業主婦にはなりきれず、結婚後の戸籍名である'''松任谷由実'''として音楽活動を続行することを決意。1978年から1983年はオリジナルアルバムを毎年2枚リリースするなど、[[ブレッド&バター]]、[[松田聖子]]、[[小林麻美]]などに楽曲提供をしながらもハイペースで曲を製作。「[[埠頭を渡る風]]」「DESTINY」「[[恋人がサンタクロース]]」「カンナ8号線」「真珠のピアス」「ダンデライオン」などはこのころ作られた。また、[[リゾート]]地でのコンサートのスタイルをこの時期に確立した
 
[[1981年]]6月のシングル「[[守ってあげたい]]」が1981年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。その年のアルバム[[昨晩お会いしましょう]]』以降のオリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得、[[1987年]]のアルバム[[ダイアモンドダストが消えぬまに]]以降は9作連続の[[ミリオンセラー]]を獲得。
 
彼女が始めた“見せる”ステージは1979年から始まり、本物の象が出たOLIVE』・」、マジックを取り入れたMAGICAL PUMPKIN』・」、エレベータを設置したBROWN'S HOTEL』・」、噴水ショーSURF & SNOW』・」、30mの竜に乗った水の中のASIAへなど年々エスカレート。億単位の金をかけ、内外の最新技術を積極的に取り入れた、コンサートの枠を超えた新たな一大エンターテイメントになっていった。当時の[[インタビュー]]でも「レコードで儲けた分、コンサートで夢と一緒にファンの方にお返しするのが役目」と語っていた。
 
当時人気の高かった[[スキー]]を題材にした映画[[私をスキーに連れてって]](1987年)の主題歌と挿入曲を一手に担当し、「若者のカリスマ」「恋愛の教祖」などと呼ばれた。「失恋」についてを歌い、彼女自身がライバルと評する[[中島みゆき]]の作風とは一線を画し、「中級以上の育ちじゃないとわからない世界観」「[[中産階級]]の手に届く夢」(当時の音楽ライターによる表現)を歌って、[[バブル景気]]に沸く時代の波に乗ったユーミンだった。
 
しかし、[[1990年代]]に入ると[[精神世界]]や民族的な音楽にも着目。「満月のフォーチュン」や「DAWN PURPLE」「[[真夏の夜の夢 (松任谷由実の曲)|真夏の夜の夢]]」「春よ、来い」「輪舞曲」などを生み出す。
 
[[1996年]]、旧姓・'''荒井由実'''の名で活動を行う。[[セルフカバー]]シングル「[[まちぶせ]]」を発売。また、当時の仲間のミュージシャンを集めて、[[Yumi Arai The Concert with old Friends (DVD)|Yumi Arai The Concert with old Friends]]を開催した。この[[ライブ・アルバム]]発売に伴い、年末リリースのアルバムが数か月遅れた。これ以降、日本の恒例行事とまで呼ばれたサイクル(冬のアルバム発売〜夏までツアー)が若干緩やかになった。
 
[[1999年]]には[[ロシア]]の[[サーカス]]チームとコラボレートしたコンサート理由「[[YUMING SPECTACLE SHANGRILA|シャングリラ]]を開催。同コンサートは[[2003年]]にシャングリラII、[[2007年]]にはシリーズ最後を飾るシャングリラIIIとして開催された。シャングリラ3回の総制作費は120億円以上、観客動員数は100万人。
 
[[2005年]]、これまで度々たびたび出演の打診を受けては辞退し続けていた[[NHK紅白歌合戦]]([[第56回NHK紅白歌合戦|第56回]])に[[Friends Of Love The Earth|松任谷由実 with Friends Of Love The Earth]]名義で初出演。
 
2010年代以降の楽曲提供としては、[[綾瀬はるか]]「マーガレット」(作曲:呉田軽穂)、[[くるり]]「FIRE」(作詞:岸田繁・松任谷由実)、[[オルケスタ・デ・ラ・ルス]]「太陽と黒いバラ」(作詞作曲:松任谷由実)、[[坂本真綾]]「おかえりなさい」(作曲:松任谷由実)、[[芦田愛菜]]「雨に願いを」(作詞作曲:松任谷由実)、[[Char]]「Night Flight」(作詞作曲:松任谷由実)、松田聖子「永遠のもっと果てまで」「惑星になりたい」(作曲:呉田軽穂)、鈴木雅之「Melancholia」(作詞作曲:松任谷由実)、岩沢幸矢「夜空にあなたの名を呼べば」(作詞:呉田軽穂)、NOKKO「ふふふ」(作曲:松任谷由実)がある。
 
2011年春、NHKSONGSと組み、「春よ、来いプロジェクト」を展開。新たにレコーディングされた「(みんなの)春よ、来い」第1弾を5月に配信、11月には第2弾「(みんなの)春よ、来い 2011年秋編」、2012年3月には「(みんなの)春よ、来い 2012」を配信。収益のすべてが被災地へ寄付された。
 
2012年、2014年、2017年には帝国劇場にて「ユーミン×帝劇」を開催。{{main|松任谷由実のコンサート一覧}}
 
2013年、デビュー以来所属していたレコード会社・[[EMIミュージック・ジャパン]]が消滅、煽りを受け[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]へ移籍する。
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2017年、東京芸術文化評議会委員に就任。世田谷区名誉区民<ref>[http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/107/157/692/693/d00154126.html 世田谷区名誉区民の顕彰について]</ref>。
 
2016年11月には映画「リトルプリンス 星の王子さまと私」日本語吹替版主題歌「気づかず過ぎた初恋(Extra Winter Version)」、映画「真田十勇士」主題歌「残火(のこりび)」、フジテレビ系ドラマ「Chef〜三ツ星の給食〜」主題歌「Smile for me」、三菱UFJニコス「MUFGカード スマート」CMソング「月までひとっ飛び」、ハウス食品「北海道シチュー」CMソング「あなたに会う旅」、ネイチャーラボ「ダイアンボタニカル」CMソング「君(と僕)のBIRTHDAY」、小林麻美セルフカバー「GREY」などを含む38枚目のオリジナルアルバム[[宇宙図書館]]を発売。オリコン週間チャート1位を獲得する。11月18日から2017年9月22日まで、全80公演にも及ぶコンサートツアー「宇宙図書館」を開催した。2018年4月11日にはこの模様を収録したライブ作品「コンサートツアー 宇宙図書館」をリリースした。
 
2018年2月2日~16 - 16日まで38回目となる「SURF & SNOW in Naeba」全8公演を開催。3月17日にはアルバムコンセプトライブ「SONGS & FRIENDS」を開催。4月11日にはデビュー45周年を記念して、実売100万枚突破を記録し、ロングセラーとなっている40周年記念ベスト[[日本の恋と、ユーミンと。]]の続編となる、初めて自ら45曲を選曲した45周年記念ベスト[[ユーミンからの、恋のうた。]]をリリース。また、2枚のベスト盤を引っげ、全32公演にも及ぶ「TIME MACHINE TOUR Traveling through 45years」と題したアリーナツアーを開催予定。数々の伝説の名場面が蘇る、まるでタイムマシーンに乗ったようなステージを構想中。[[9月24日]]には、ひこうき雲からユーミンからの、恋のうた。までのほとんどのアルバムとシングルのサブスプリクション配信が開始された{{refnest|group="注"|ライブアルバム、コラボシングル(「(みんなの)春よ、来い」各種を含む)、トリビュートアルバム参加曲、初回限定盤のボーナストラックを除く。公認編集盤のうち『ALBUM』『Yuming THE GREATEST HITS』はラインナップから外れている。一部のシングル曲はアルバムバージョンに差し替えられているが、アルバム未収録のシングル曲は網羅されている<ref>[http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1809/24/news015.html ねとらぼ ユーミンの全曲配信がスタート 荒井由実時代を含むデビューから45年間の全424曲]</ref>。}}。
 
== ディスコグラフィー ==
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* アルバム1位獲得数(歴代2位、ソロ1位の24作)
* アルバム1位連続獲得年数(歴代1位の18年)
* アルバム1位獲得最年長記録(歴代2位、女性1位の64歳3月(ユーミンからの、恋のうた。))
* アルバムTOP10獲得作品数(歴代2位、女性1位の49作)
* アルバム年間TOP10獲得作品数(歴代1位の19作)