削除された内容 追加された内容
国家元首に天皇を置き、滅亡を663年とするのはさすがに突飛すぎるため冒頭部を修正。他にも問題だらけであるがとりあえず。
不適切な用いられ方をしている出典の記述を修正。吉田1997の文章は「『日本書紀』の特異な『任那』の用法」について論じている部分の一節であり、異なる趣旨の文章と合成されていて出典の記述と乖離している。
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== 概要 ==
一般的に『[[三国志]]』に登場する[[狗邪韓国]](倭人伝)または弁辰狗邪国(韓伝)の後継にあたる金官国を中心とする地域、[[]]の[[弁辰]]、[[弁韓]]および[[辰韓]]の一部、[[馬韓]]の一部(現在の全羅南道を含む地域)を含む地域を指す地名とされる。任那諸国<ref>通典辺防典</ref>の中の[[加羅#金官国(駕洛国)|金官国]](現在の[[慶尚南道]][[金海市]])を指すものと主張する説もある(後述)。
 
後に狗邪韓国(金官国)そして任那となる地域は、[[弥生時代]]中期(前4、3世紀)に入り従来の土器とは様式の全く異なる[[弥生土器]]が急増し始めるが、これは後の任那に繋がる地域へ倭人が進出した結果と見られる<ref>『朝鮮半島出土弥生系土器から復元する日韓交渉』[http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/43794]東京大学考古学研究室研究紀要. 第25号, 2011年3月, pp.65-96</ref>。
 
日本語の概説書等では[[第二次世界大戦]]後、次第に政治的な理由により任那とは何かという問題を避けることが多くなっていた<ref group="注釈">吉田1997 p.74</ref>森1998等 実際に、『倭の朝鮮史』(山川出版社<新版世界各国史2>、2000年 ISBN 4-634-41320-5)半島においても、任那ける軍事活動については広開土王碑文に登場する「任那加羅」や、弁韓諸国の系統の一小国と記録てしか扱われていない。</ref>が、倭が[[新羅]]や[[百済]]を臣民とした等と書かれている[[好太王碑|広開土王碑]]日本軍改竄説が否定され、史料価値が明確なったこと<ref group="注釈">従来、日本軍による改竄の可能性があるとされついきたが、[[2006年]]4月に中国社会科学院徐建新によ評価の高ま[[1881年]]に作成された現存最古日本列島[[拓本]][[酒匂本]]とが完全に一致類似ていることが発表され。</ref>、またいくつもの日本固有の[[朝鮮半島南部の前方後円形墳|前方後円墳が朝鮮半島南部]]で発見され始めについての研究が進展したことなどから、近年ヤマトでは倭と廷そ鮮半島南部もの或いは深い連を持つ集団による統治権、軍事統括権および徴税権の存在わりについて認める様々な見解がの議論は活表され化している。
 
== 金石文 ==