「ラスト サムライ」の版間の差分

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勝元の息子・信忠役を演じた[[小山田真]]は、当時は[[俳優]]になるため[[留学生]]として[[ロサンゼルス]]に在住していたため、オーディションはロサンゼルスの[[キャスティングディレクター]]のビキー・トーマスのもと受けている。[[英語]]が流暢に話せすぎていた為、信忠役が話す英語をもう少し日本語っぽい英語するようにと言われていた。また、[[アメリカ]]で全米武術大会優勝経験がある事も決め手の一つとなった。渡米2年後、最初の劇場映画であり、ハリウッドデビュー作品となった。
 
配役のうち、「寡黙なサムライを演じた「日本一の斬られ役である[[福本清三]]は時代劇になくてはならない存在。起用に関しては、コーディネーターである[[奈良橋陽子]]の推薦によるところが大きい。
 
里の武士たち・政府軍の兵士たちを務めるエキストラはすべて、[[オーディション]]で集められた日本人である。[[エキストラ]]を務めた者の記すブログに拠れば、政府軍を演じたグループが別のシーンでは里の武士を演じる事もあったという。当初、製作陣はこれら[[エキストラ]]の起用に関して、[[徴兵制]]を経て兵器の取り扱いに慣れている[[韓国人]]や、銃規制のゆるい環境で育った[[日系アメリカ人]]などを使うことを考えていたようだが、トム・クルーズらの反対によって、日本から500名ほどの若者がニュージーランドに集められ、軍隊さながらの練成教育が行なわれたという<ref>参考文献・『おちおち死んでられまへん』福本清三・談)</ref>。