「自爆テロ」の版間の差分

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はじめに自爆テロ戦術が多発したのは、[[スリランカ]]の[[タミル・イーラム・解放の虎]](LTTE)であり、[[シンハラ族]]と[[タミル族]]双方の民族紛争と虐殺の中で生み出された戦法であった。[[1990年代]]は襲撃と並んで闘争手段の一つとなり、[[女性]]の自爆者も出ている。
 
中東地域では[[1983年]][[4月18日]]の[[ベイルート]]における[[アメリカ大使館爆破事件 (1983年)|アメリカ大使館爆破事件]]で[[イスラーム|イスラム]][[シーア派]]組織[[ヒズボラ]]が実行して以後、イスラム過激派(当初は主にシーア派)の常套的な攻撃方法として定着する。以降、[[チェチェン紛争]]、[[パレスチナ]]の第二次[[インティファーダ]]、[[アメリカ同時多発テロ]]、[[イラク戦争]]を経て、イスラム過激派による自爆テロの発生件数と犠牲者は増加の一途をたどっている。
 
特にイラク戦争以降、イスラム教徒のあいだで火に油を注ぐように、反欧米感情が高まり、イスラム世界を中心に世界各国に拡散する傾向にある。たとえば、今まで自爆テロのなかった[[ヨーロッパ]]でも、2004年の[[スペイン列車爆破事件|マドリード列車爆破テロ]]で実行犯の一部が[[逮捕]]のさい自爆したほか、2005年の[[ロンドン同時爆破事件|ロンドン・バス爆破テロ]]でイスラム系住民の若者が自爆。[[アフガニスタン]]においては、[[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)|ソ連のアフガニスタン侵攻]]や[[アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)|軍閥内戦]]時代にもほとんど見られなかった自爆テロが、近年になって首都[[カーブル]]などで頻発している。いずれもイラク戦争で伸張した[[アルカーイダ]]の影響が大きいと指摘されている。最近では、テロリストが[[ストリートチルドレン]]などの子供を騙し荷物(爆弾)を兵士に渡した所で[[タイマー]]などで爆発させるといった手段を用い、さらに洗脳しやすい子供が狩り出されている。また貧困層がよく狩り出される。他にも、自爆死したテロリストの家族について、家族の自爆死の精神的ショックを利用して[[マインドコントロール]]を行い、絶望感と攻撃対象への憎悪を煽り、その家族をさらに自爆テロ犯に仕立て上げる様な事も行われている。ただし、しばしば行われる誤解は、自爆テロが宗教的観点に基づくというものや、貧困層の人間や子供を使われることが多いというものだが、実際には政治基盤が悪く官僚や党の権力が弱い、国民的な民主的国家における世論の操作に用いられるものであり、宗教よりは精神病理に関係がある事が認められている。また、チェチェンやクルド系のテロ以外では成人男性が多く、中産階級や大学出の人間が大半である。
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== 主な自爆テロ事件 ==
* [[1976年]]3月23日 - [[児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件]]
* [[1983年]]4月18日 - [[アメリカ大使館爆破事件# (1983年)|アメリカ大使館爆破事件]]。63人死亡。
* 1983年10月23日 - [[ベイルート・アメリカ海兵隊兵舎爆破事件]]。241人死亡。直後のフランス軍兵舎の爆破で58人死亡。
* [[レバノン内戦]]での[[民兵]]による[[イスラエル軍]]への自爆攻撃<!-- 世俗派のPFLPや[[シリア社会民族党]]なども行なっている。-->
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* [[1998年]]2月6日 - スリランカ、[[コロンボ]]でLTTEによる自爆テロ(実行者は女)。死者8名。
* 1998年3月11日 - スリランカ、[[トリンコマリー]]沖でLTTEシー・タイガーによる自爆攻撃。スリランカ海軍艦船が沈没。
* 1998年8月7日 - [[アメリカ大使館爆破事件# (1998年アメリカ大使館爆破事件)|1998年アメリカ大使館爆破事件]]。同時にケニアとタンザニアの大使館が爆破され合計300人以上が死亡。
* [[1999年]]7月29日 - スリランカ、コロンボで[[全セイロン・タミル会議|タミル統一解放戦線]]国会議員ニーラン・ティルチェルヴァム、自爆テロにより暗殺。
* 1999年8月4日 - スリランカ、[[バブニヤ]]でスリランカ政府特殊部隊隊員のトラックに自爆テロ(実行者は女)。死者10人、負傷者20人。