「蜂須賀正氏」の版間の差分

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留学先では「ラストショーグンの孫」と呼ばれていた。
 
[[1928年]]、[[渡瀬庄三郎]]と共に[[日本生物地理学会]]を設立。同年、[[東京大学|東京帝国大学]]の[[松村瞭]]から依頼を受け、フィリピン探検で有尾人探索調査を行う。正氏が[[マラリア]]に感染し、不首尾に終わる。東南アジアの島々で生物相を調べていくうちに[[ウォーレス線]]と同様の生物の構成が異なってくる境界<ref name="line" />を発見、有尾人への関心は以後薄れていく<ref>荒俣宏『荒俣宏の不思議歩記』毎日新聞社 2004年 p.12-14</ref>。
 
[[1930年]]、再び渡欧。[[1930年]]暮から[[1931年]]5月にかけて、[[ベルギー]]政府探検隊の[[アフリカ]]探検に参加、日本人として初めて野生[[ゴリラ]]と対面した。