「レオノーレ序曲第1番」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
加筆
修正
3行目:
 
==概要==
ベートーヴェンの生前には演奏されなかった。ず、ベートーヴェン没後1年近く経た[[1828年]][[2月7日]]に[[ウィーン]]で[[ベルンハルト・ロンベルク]]の指揮により初演された。出版はその前後に行われた遺品競売の際に楽譜を落札した[[トビアス・ハスリンガー]]により、初演から4年後の[[1832年]]に行われている。この出版の際に、表紙に「オペラ『レオノーレ』のために、1805年に作曲されたもの」と記されたことと後述の作曲動機の諸説のため、レオノーレ序曲「第1番」と呼ばれるようになった。
 
ベートーヴェンの唯一のオペラ『[[フィデリオ]]』は、最初『レオノーレ』のタイトルで[[1805年]][[11月20日]]に初演されたが、これは失敗に終わっている。全3幕で、その第1幕が異常に長かったことと、台本が稚拙であったなどが原因とされているが、ベートーヴェンは[[1806年]]の3月には新たに2幕版の改訂初演に臨んでおり、この2幕版は一応の成功を収めている。しかし[[1813年]]から三たび台本を含めた改訂を試み、曲目も『フィデリオ』と変えて[[1814年]][[5月23日]]に[[ケルントナートーア劇場]]で初演、ついに大きな成功と喝采を博した。この過程で序曲も第1番と初稿のための[[レオノーレ序曲第2番|『レオノーレ』序曲第2番]]、第2稿のための[[レオノーレ序曲第3番|『レオノーレ』序曲第3番]]、決定稿への『フィデリオ』序曲と4つも作曲されている。
 
第1番は作曲年代において1805年説と1807年説があり、1805年説は「1805年に作曲されたものの、ベートーヴェン自身はもちろんパトロンも内容が軽すぎると感じ、また出来ばえに満足しなかった」という -発言には信ぴょう性が持たれていない- [[アントン・シンドラー]]の説明を典拠に、また1807年説は「1807年に[[プラハ]]での上演が計画された際に作曲されたものであったが、最終的にこの計画は実現しなかった」という[[イグナーツ・フォン・ザイフリート]]や[[グスタフ・ノッテボーム]]らによる説明が典拠となっている。両説のどちらが正しいかを確認する手立ては不明瞭だが、ハスリンガーが落札した楽譜中の第1ヴァイオリンのパート譜には、ベートーヴェン自身の筆によるものと推定されている「'''性格的序曲'''」という記述はあるものの、『フィデリオ』(『レオノーレ』)と直接に関連付けられる記述はない。
 
==楽器編成==