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サブサハラアフリカ
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である<ref>{{cite book|chapter=Anthropologists,historians, and tribespeople on tribe and state formation in the Middle East|title=Tribe and State Formation in the Middle East|author=Tapper, Richard|editor=Khoury, P. S. & Kostiner, J.|place=Berkeley and Los Angerls|publisher=Univ. of California Press|year=1990|}}</ref>。とくに2.はバンド-部族-首長制-未開国家という政治機構の段階論の中で位置づけられていた。
 
進化における一段階という議論は強く批判されたために、人類学において実際の集団にたいして部族というカテゴリーが使用されることは廃れたが、フリードは「二次的な現象としての部族」という考えかたを提供した<ref>{{cite book|和書|chapter=部族および部族社会の概念|title=社会人類学リーディングス|publisher=アカデミア出版会|year=1982|origyear=1966|author=フリード|translator=伊藤眞|editor=松園万亀雄}}</ref>。フリードのアイデアを推し進めたサウゾルによれば、多くの部族は植民地化の過程において、[[植民地]]行政こそが部族形成に関与したと指摘した。[[サハラ以南のアフリカ]]の多くの部族や、北米の「保留地」に押し込められた[[インディアン]]諸部族<!--ネイティブ・アメリカンは民族名ではありません-->がその例である<ref>{{cite book|author=Southall, Aidan |chapter=Tribes |editor=Levinson, D. & Ember. M |title=Encyclopedia of Cultural Anthropology, Vol 4 | place= New York |year=1996}}</ref>。
 
かつての東西陣営では、民族あるいは部族を次のように定義していた。共産圏では[[ヨシフ・スターリン]]の定義「民族とは、言語、地域、経済生活および文化の共通性のうちに現れる心理状態の共通性を基礎として生じたところの歴史的に構成された人々の堅固な共同体」<ref>{{cite book|和書|author=スターリン, J. V.|title=マルクス主義と民族問題|sereise=スターリン全集第二巻|publisher=大月書店|year=1952|origyear=1913}}</ref>が使われ、西側では[[マックス・ウェーバー]]の「同じような身体的特性と文化慣習、移住や植民といった共通の記憶やふるさとと意識、さらには出自をともにしているという主観的な信念」という条件が使われていた。しかし先述の通り、部族は二次的なものであり、実態と異なることが知られている。