「天皇陵」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎火葬と土葬: 固有名で置換できる箇所での「今上天皇」という表現を排除
Hvn0413 (会話 | 投稿記録)
35行目:
[[奈良時代]]から[[平安時代]]初頭にかけての天皇陵は、[[土葬]]される例([[聖武天皇]])や、墳丘を作ったと思われる事例([[桓武天皇]])を経て、[[仏教]]思想の影響により、[[火葬]]の導入(最初に天皇で火葬を行ったのは第41代[[持統天皇]])や火葬後に[[散骨]]して大規模な造営を行わない事例([[嵯峨天皇]]、[[淳和天皇]])などが見られるようになる。
 
[[2012年]]([[平成]]24年)[[4月26日]]、宮内庁は、天皇や皇后が崩御した際の埋葬方法を、第125代天皇[[上皇明仁|明仁]]およびその皇后[[皇后美智子|美智子]]の意向により、旧来の土葬から火葬に変える方針で検討すると発表<ref name="jibunnshi">[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120426/k10014736071000.html NHK NEWS WEB 2012年(平成24年)4月26日] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120429043422/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120426/k10014736071000.html |date=2012年4月29日 }}</ref>。翌[[2013年]](平成25年)[[11月14日]]、宮内庁は第125代天皇の明仁及びその皇后美智子の埋葬法を正式に火葬にて行うと発表。合わせて二人の陵を一体的に整備する事で従来の陵より小さく作る事も発表した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131114-OYT1T00863.htm?from=top YOMIURI ONLINE(読売新聞)2013年(平成25年)11月14日]</ref>。(当初は天皇と皇后を一緒に埋葬する合葬も視野にいれ検討されたが、正式決定時には二人の陵を寄り添う形で作ると定められた)これにより、江戸時代初期から350年以上続いてきた天皇・皇后の葬儀と埋葬方法は第125代天皇[[明仁]]の代では大きく変わることとなった。
 
=== 歴代天皇の葬儀 ===