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また、法大在学中より[[サッカー日本代表|日本代表]]に選出。1980年代前半の日本代表で主将を務めた。
 
[[日本サッカーリーグ]]の1988-89シーズンにて、元号が「[[昭和]]」から「[[平成]]」に替わった後の1989年2月26日、対[[住友金属工業蹴球団|住友金属工業]]戦で[[後藤義一]]からのコーナーキックを頭で合わせてゴールを決めた。これが「平成」初となる日本サッカー公式戦初得点であり、かつ前田自身の現役最後のゴールともなった<ref name="Nikkan 20190503">{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/201905030000060.html|title=平成1号の前田秀樹氏が語る令和1号の意味|newspaper=ニッカンスポーツ・コム|date=2019-05-03|agency=日刊スポーツ新聞社|accessdate=2019-05-03}}</ref>。
 
=== 解説者として ===
1989年に引退後はサッカー解説者を務め、[[スカパー!]]では主に水戸戦の解説を担当。
 
また、[[1994 FIFAワールドカップ・アジア予選]]の日本代表×[[サッカーイラク代表|イラク代表]]戦([[1993年]][[10月28日]]、「[[ドーハの悲劇]]」)のテレビ中継で解説を務めた<ref name="Nikkan 20190503"/>。[[実況]]は[[久保田光彦]]で、久保田と前田のコンビは、当時放送されていた『[[ダイナミックサッカー]]』でも見られた。
 
=== 指導者として ===