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画像:ロッテルダム爆撃(1940年5月14日)
戦術爆撃もある
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[[Image:B-29s dropping bombs.jpg|180px|爆撃を行う[[B-29 (航空機)|B-29 スーパーフォートレス]](東京大空襲)|right|thumb]]
'''絨毯爆撃'''(じゅうたんばくげき、{{Lang-en|Carpet bombing}})は、地域一帯に対して無差別に行う[[空襲|爆撃]]。'''無差別爆撃'''、'''都市爆撃'''、'''地域爆撃'''、'''恐怖爆撃'''とも呼ばれ、一般には[[住宅地]]や[[商業地]]を破壊して敵[[国民]]の[[士気]]の喪失を目的とした[[戦略爆撃]]である。これに対して、[[工場]]や[[港湾|港]]・[[油田]]などの施設の破壊を目的にした爆撃は「[[精密爆撃]]」に分けられる<ref>三浦俊彦『戦争論理学 あの原爆投下を考える62問』二見書房21頁</ref>。絨毯爆撃という表現は、床に敷かれた[[絨毯]]のように、[[爆弾]]が一面を覆う印象から想起されたものである。
 
== 歴史 ==
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[[1937年]][[4月26日]]、[[スペイン内戦]]下で[[スペイン]]北部・[[バスク州]]の[[都市|小都市]][[ゲルニカ]]が[[フランシスコ・フランコ|フランコ]][[将軍]]を支援する[[ナチス・ドイツ|ナチス]]の[[コンドル軍団]]によって空爆された。この[[ゲルニカ爆撃]]が、焼夷弾を本格的に使用した最初の[[空襲]]となり、世界初の無差別爆撃でもある。[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]の『[[ゲルニカ (絵画)|ゲルニカ]]』は、同名の都市への無差別絨毯爆撃に際し、描かれたものとして著名である。[[1938年]]-[[1943年]]まで[[大日本帝国|日本]]によって継続的に行われた[[重慶爆撃]]も、後期には絨毯爆撃となった。
 
[[第二次世界大戦]]では、[[1944年]]の[[フランス|北フランス]]で行われた[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国軍]]の「[[コブラ作戦]]」支援において、珍しい例として軍事目標へ[[戦術爆撃でも]]としての絨毯爆撃が行われている。
末期の[[1945年]]には、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]は[[ドレスデン爆撃]]で無差別爆撃を行い、[[日本本土空襲]]では[[精密爆撃]]から無差別爆撃まで、焼夷弾、核兵器(原子爆弾)の使用も含む爆撃を継続的に実施した<ref>荒井信一『空爆の歴史』岩波新書129頁</ref>。