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|別名 =
|主君 = [[袁術]]→在野[[孫策]]→[[孫権]]
|特記事項 =
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'''魯 粛'''(ろ しゅく、[[172年]] - [[217年]])は、[[中国]][[後漢]]末期の武将・政治家。[[字]]は'''子敬'''(しけい)。[[徐州]][[臨淮郡]]<ref>[[下邳]]国</ref>東城県(現在の[[安徽省]][[定遠県]]南東部)の出身。子は[[魯淑]]。孫は魯睦。
 
[[袁術]]・[[孫策]]・[[孫権]]に仕えた。[[赤壁の戦い]]では降伏派が多い中、主戦論を唱え[[周瑜]]・[[孫権]]と共に開戦を主張した。[[曹操]]軍を退けた後は[[劉備]]陣営との連携に尽力し、周瑜の死後には孫権陣営の舵取り役として活躍した。
 
== 経歴 ==