「吉田茂」の版間の差分

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尊皇家であり、終戦後、[[昭和天皇]]が戦争責任をとっての退位を申し出た時も吉田が止め、国民への謝罪の意を表明しようとした時も吉田が止めたという{{Sfn|原彬久|2005}}。
 
[[1952年]](昭和27年)11月の[[今上天皇明仁|明仁親王]]の[[立太子の礼|立太子礼]]に臨んだ際にも、昭和天皇に自ら「'''臣茂'''」と称した。これは「時代錯誤」とマスコミに批判されたが、吉田は得意のジョークで「'''臣'''は総理大臣の臣だ」とやり返した。
 
=== 住居 ===