「大国主」の版間の差分

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== 神話における記述 ==
[[ファイル:Susanowo family tree.png|thumb|250px|須佐之男命から大国主神までの系図(『古事記』による)。青は男神、赤は女神]]
『[[古事記]]』・『[[日本書紀]]』の異伝や『[[新撰姓氏録]]』によると、[[須佐之男命]](すさのおのみこと)の六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。父は[[天之冬衣神]](あめのふゆきぬのかみ)、母は[[刺国若比売]](さしくにわかひめ)。また『日本書紀』正伝によると素戔鳴尊(すさのおのみこと)の息子。
 
須佐之男命の娘である[[須勢理毘売命]](すせりびめのみこと)との婚姻の後に[[スクナビコナ]]と協力して天下を経営し、[[禁厭]](まじない)、医薬などの道を教え、[[大物主神]](おおものぬしかみ)を祀ることによって[[葦原中国]](あしはらのなかつくに)の国作りを完成させる。だが、[[高天原]](たかあまのはら)からの[[天照大御神]](あまてらすおおみかみ)の使者に[[国譲り]]を要請され、対話と武力を交えた交渉の末に[[常世|幽冥界]]の主、幽事の主宰者となった。国譲りの際にかつて[[須佐之男命]]から賜って建立した「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿([[出雲大社]])を修復してほしいと条件を出したことに[[天津神]](あまつかみ)が約束したことにより、このときの名を杵築大神(きづきおおかみ)ともいう。
 
大国主神を扱った話として、因幡の白兎の話、[[根の国]]訪問の話、[[沼河比売]]への妻問いの話が『古事記』に、国作り、国譲り等の神話が『古事記』と『日本書紀』に記載されている(但し、『日本書紀』では「大国主神」という神名ではない)。『[[出雲国風土記]]』においても多くの説話に登場し、例えば意宇郡母里郷(現在の[[島根県]][[安来市]])の条には「越八口」を大穴持命が平定し、その帰りに国譲りの宣言をしたという説話がある。