「池田礼子」の版間の差分

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国際公務員としての現職はないので、最後に務めた国際連合児童基金(UNICEF)駐日事務所副代表を定義文に記載。「親族」節について、姉が皇后雅子であることを記し、他は皇后雅子#生家・小和田家に誘導。非著名人である夫の名前を除去(WP:NPF)。
infoboxほか。父親も著名な人なので導入などに追加
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|画像サイズ= <!-- 省略値は180x180px -->
|画像説明 =
|出生名= 小和田 礼子(おわだ れいこ)
|生年月日= {{生年月日と年齢|1966|7|8}}
|生誕地= {{CHE}}・[[ジュネーヴ]]
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|家族=[[皇后雅子]](実姉)<br/>[[渋谷節子]](双子の妹)
}}
'''池田 礼子'''(いけだ れいこ、[[洗礼名]]:マドレーヌ(Madeleine)、[[1966年]][[昭和]]41年[[7月8日]] - )は、[[国際公務員]]。[[作家]]。[[翻訳家]]。第22代[[国際司法裁判所]](ICJ)所長・[[小和田恆]]の次女。[[皇后雅子]]の妹。
 
国際公務員として、[[国際連合児童基金]](UNICEF)駐日事務所副代表を務めた。
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== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
[[1966年]](昭和41年)[[7月8日]]、[[スイス]]連邦の[[ジュネーヴ]]市で、当時[[在ロシア日本国大使館|在ソ連日本国大使館]]一等書記官・[[小和田恆]]と同夫人優美子の次女として生まれた。姉は[[皇后雅子|雅子]]であり、礼子と[[双生児]]として共に生まれた妹が[[小和田節子|節子]]である。生後しばらく同国[[ベルン]]の[[在スイス日本国大使館]]大使公邸で育てられた。マドレーヌ(Madeleine)という[[フランス語]]のクリスチャンネームをもつ<ref>[[河原敏明]]『美智子さまから雅子さまへ-プリンセスへの道』([[1993年]])</ref><ref>[[ベン・ヒルズ]](著), [[藤田真利子]] (翻訳)『プリンセス・マサコ』([[2007年]])</ref>。
 
[[1969年]](昭和44年)、父の恒が[[政府代表部|国際連合日本政府代表部]]に赴任したため一家で渡米。2歳から4歳までの2年間で[[アメリカ合衆国]]・[[ニューヨーク州]][[ニューヨーク市]]の2つの幼稚園に通う。[[田園調布雙葉小学校]]、[[田園調布雙葉中学校・高等学校]]を卒業後、父の恒がOECD日本政府代表部特命全権大使に就任したため[[1988年]](昭和63年)から1年間、両親と共に渡仏し[[パンテオン・ソルボンヌ大学|ソルボンヌ大学]](パリ第4大学)に留学した。帰国後の同年3月、[[慶應義塾大学大学院法学研究科・法学部|慶應義塾大学法学部]][[政治学部|政治学科]]を卒業した。[[1991年]]([[平成]]3年)8月にスイスの[[ジュネーヴ大学]]国際問題高等研究所大学院(法科大学院)を修了した<ref>『[[ハーパーズ バザー|ハーパース・バザー日本版]]』[[2001年]]10月号</ref>。
 
=== 国際公務員 ===
慶応大学在学中に[[ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー]]試験(JPO)に合格し、1991年(平成3年)9月より[[ベトナム]]の[[国際連合難民高等弁務官事務所]](UNHCR)に勤務した。[[1994年]](平成6年)、[[中国]]・[[北京]]に赴任し、主に過疎地に住む子供の健康・教育向上に携わった。以降国連官僚([[国際公務員]])として、「戦時児童」担当[[国連事務総長特別代表]]事務所、[[国際連合児童基金]]、及び[[国際連合]]本部などに所属し<ref>『[[プレジデントファミリー]]』[[2007年]]6月号</ref>、[[アメリカ合衆国]]・[[ニューヨーク]]の[[国際連合事務局]]([[国際連合事務総長特別代表]]事務所)に勤務した<ref>『[[婦人公論]]』[[2006年]]7月22日号</ref>。その後、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[青山 (東京都港区)|青山]]・[[国連大学]]本部の国際連合ユニセフ駐日事務所副代表(後任は平林国彦)を務めた。
 
[[2006年]](平成18年)8月には、[[徳仁|皇太子徳仁親王]]・[[皇后雅子|皇太子妃雅子]]一家のオランダ静養旅行に同行した<ref>[[週刊ポスト]]2006年9月15日号</ref>。
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== 親族 ==
* 父:'''[[小和田恆]]''' - 元外務事務次官、国連大使。国際法学者。第22代[[国際司法裁判所]](ICJ)所長。
* 姉:'''[[皇后雅子]]''' - 第126代[[天皇]]・[[徳仁]]の[[皇后]]。
他は{{see|皇后雅子#生家・小和田家}}