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****'''{{ruby|[[誑]]|おう}}'''({{lang-sa-short|māyā}}、<small>マーヤー</small>) - 欺瞞{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。欺くこと{{sfn|中村|2002|p=96}}。
****'''{{ruby|[[憍]]|きょう}}'''({{lang-sa-short|mada}}、<small>マダ</small>) - 自己満足{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。おのれの性質(美貌・若さ・血統・学識など)を優れたものと考えて自己に執着する心のおごり{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。
***'''{{ruby|{{linktext|不定法}}|ふじょうほう}}'''({{lang-sa-short|aniyata dharma}}){{sfn|櫻部・上山|2006|p=113}}もしくは{{ruby|不定地法|ふじょうじほう}}{{sfn|中村|2002|p=96}}(8) - あるときは善心と、あるときは悪心と、あるときは無記心とあい伴うもの{{sfn|櫻部・上山|2006|p=113}}。
****'''{{ruby|{{linktext|悪作}}|おさ}}'''({{lang-sa-short|kaukṛtya}}、<small>カウクリティヤ</small>)- 後悔{{sfn|中村|2002|p=96}}。過去の悪い行いに対してその誤ちを悔いる心作用{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。
****'''{{ruby|{{linktext|睡眠}}|すいめん}}'''({{lang-sa-short|middha}}、<small>ミッダ</small>) - 心の鈍重さ{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。心をくらからしめること{{sfn|中村|2002|p=96}}。{{ruby|眠|みん}}とも呼ぶ。
****'''{{ruby|{{linktext|尋}}|じん}}'''({{lang-sa-short|vitarka}}、<small>ヴィタルカ</small>) - 推究的粗大な心の動き{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。
****'''{{ruby|{{linktext|伺}}|し}}'''({{lang-sa-short|vicāra}}、<small>ヴィチャーラ</small>) - 観察的微細な心の動き{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。
****'''{{ruby|[[]]|とん}}'''({{lang-sa-short|rāga}}、<small>ラーガ</small>) - 貪り{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。心にかなう対象に対する欲求{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。
****'''{{ruby|[[]]|しん}}'''({{lang-sa-short|pratighadveśa}}、<small>プラティガドヴェーシャ</small>) - 憎しみ{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。嫌うこと、いかること{{sfn|中村|2002|p=96}}。心にかなわない対象に対する憎悪{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。
****'''{{ruby|[[]]|まん}}'''({{lang-sa-short|māna}}、<small>マーナ</small>) - 慢心{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115}}。おのれは他より優れていると妄想して他人に対して誇りたがる心のおごり{{sfn|櫻部・上山|2006|p=115~116}}。
****'''{{ruby|[[]]|ぎ}}'''({{lang-sa-short|vicikitsā}}、<small>ヴィチキッツァー</small>) - 疑い{{sfn|中村|2002|p=96}}。「[[四諦]]」の真理に対してあれこれと思いまどうこと{{sfn|櫻部・上山|2006|p=116}}。
**'''{{ruby|{{linktext|心不相応行法}}|しんふそうおうぎょうほう}}'''({{lang-sa-short|citta-viprayukta-saṃskāra dharma}}、チッタヴィプラユクタ・サンスカーラ・ダルマ)(14){{efn2|心不相応行法の各梵名は右の典拠による。[[村上明宏]]『[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/34509/rbb045-20-murakami.pdf 心不相応行法と無為法の関連性]』、駒澤大学仏教学部論集45 、2014年10月、p.388(127) )}} - 心に伴わないもの{{sfn|中村|2002|p=96}}。
***'''{{ruby|{{linktext|得}}|とく}}'''({{lang-sa-short|prāpti}}、<small>プラープティ</small>) - [[法 (仏教)|ダルマ]]を獲得させる原理{{sfn|中村|2002|p=96}}。すべての有情数の法と必ず倶生する{{sfn|櫻部|1981|p=84}}。
***'''{{ruby|{{linktext|非得}}|ひとく}}'''({{lang-sa-short|aprāpti}}、<small>アプラープティ</small>), '''{{ruby|凡夫性|ぼんぶしょう}}'''<ref>[[村上明宏]]『[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/34509/rbb045-20-murakami.pdf 心不相応行法と無為法の関連性]』、駒澤大学仏教学部論集45 、2014年10月、p.388(127) </ref> - 聖道の非得。<ref>[[村上明宏]]『[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/34509/rbb045-20-murakami.pdf 心不相応行法と無為法の関連性]』、駒澤大学仏教学部論集45 、2014年10月、p.380(135) </ref> - いずれかの[[法 (仏教)|ダルマ]]の分離の原理{{sfn|中村|2002|p=96}}。
***'''{{ruby|{{linktext|同分}}|どうぶん}}'''({{lang-sa-short|sabhāgatā}}、<small>サバーガター</small>) - [[法 (仏教)|法]]の同類性{{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(9)}}。生きものの同類性{{sfn|中村|2002|p=96}}。[[有情]]の各類に共通な同類性{{sfn|櫻部|1981|p=93}}。それぞれの人にはすべて人として共通の、それぞれの牛にはすべて牛として共通の同類性がある(有差別同分){{sfn|櫻部|1981|p=93}}。また、すべての有情には有情としての共通性がある(無差別同分){{sfn|櫻部|1981|p=93}}。衆同分ともいう{{sfn|櫻部|1981|p=154}}。
***'''{{ruby|{{linktext|無想定}}|むそうじょう}}'''({{lang-sa-short|asaṃjñisamāpatti}}、<small>アサンジュニサマーパッティ</small>) - 心の活動作用を止息させる瞑想{{sfn|中村|2002|p=96}}。無意識にまで至るほどな極度の精神集中{{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(9)}}。[[無想天]]に生まれることを真の解脱と誤解してそれを求める者が修する{{sfn|櫻部|1981|p=93}}。
***'''{{ruby|{{linktext|無想}}|むそう}}'''({{lang-sa-short|āsaṃjñika}}、<small>アーサンジュニカ</small>) - 無想定を修することによって達する境地{{sfn|中村|2002|p=96}}。[[無想天]]に生まれた者のみが獲得する無意識な状態{{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(9)}}。{{ruby|無想果|むそうか}}とも呼ぶ{{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(9)}}。
***'''{{ruby|{{linktext|滅尽定}}|めつじんじょう}}'''({{lang-sa-short|nirodhasamāpatti}}、<small>ニローダサマーパッティ</small>) - こころのはたらきがすべて尽きてしまった瞑想{{sfn|中村|2002|p=96}}。心のはたらきが消滅した状態にある精神集中。聖者が寂静の境地を楽しもうとして修する{{sfn|櫻部|1981|p=93}}。
***'''{{ruby|{{linktext|命根}}|みょうこん}}'''({{lang-sa-short|jīvita-indriya}}、<small>ジーヴィタ・インドリヤ</small>) - 生命持続の力{{sfn|中村|2002|p=96}}。生命機能。体温と心のはたらきとを維持する生命力を法の一要素として見たもの{{sfn|櫻部|1981|p=94}}。
***'''{{ruby|[[ (仏教)|生]]|しょう、せい}}'''({{lang-sa-short|jāti}}、<small>ジャーティ</small>) - 生起{{sfn|中村|2002|p=96}}。{{ruby|[[四相]] |しそう}}の一要素{{sfn|櫻部|1981|p=94}}。<ref>四相は、本項以下の生・住・異・滅の4つの相状のこと {{sfn|櫻部・上山|2006|p=310~311}} 。現在の一瞬間のうちに呈する{{sfn|櫻部・上山|2006|p=310~311}}。「生住異滅」の語は、転じて「生老病死」と類義に、人間が生まれ、成長し、老いて死ぬ意、または事物が生成変化して消滅する意に用いられることもある{{sfn|岩波仏教辞典|1989|p=225}}。</ref>。どんな有為法にも必ずあい伴う{{sfn|櫻部・上山|2006|p=311}}。説一切有部では、すべての有為法の上にある特殊な法の存在を考えて、心不相応行法の中に数える{{sfn|櫻部・上山|2006|p=311}} 。
***'''{{ruby|{{linktext|住}}|じゅう}}'''({{lang-sa-short|sthiti}}、<small>スティティ</small>) - 存続{{sfn|中村|2002|p=96}}。生起した状態を保つこと。[[四相]]の一要素。
***'''{{ruby|{{linktext|異}}|い}}'''({{lang-sa-short|jarā}}、<small>ジャラー</small>) - 変化{{sfn|中村|2002|p=96}}。状態が変異すること。[[四相]]の一要素。
***'''{{ruby|{{linktext|滅}}|めつ}}'''({{lang-sa-short|anityatā}}、<small>アニティヤター</small>) - 消滅{{sfn|中村|2002|p=96}}。[[四相]]の一要素。
***'''{{ruby|{{linktext|名身}}|みょうしん}}'''({{lang-sa-short|nāmakāya}}、<small>ナーマカーヤ</small>) - 名称の集まり{{sfn|中村|2002|p=96}}。文すなわち音節、句すなわち文章に対して、名辞を意味する{{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(9)}}。本項以下の名・句・心の三つによって、言葉のはたらきが、それによって認識が、成立すると考えられている。名身とも呼ぶ{{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(9)}}。
***'''{{ruby|{{linktext|句身}}|くしん}}'''({{lang-sa-short|padakāya}}、<small>パダカーヤ</small>) - 文章の集まり{{sfn|中村|2002|p=96}}。名すなわち名辞、文すなわち音節に対して、まとまった意味を表しうる文章を意味する{{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(9)}}。句身とも呼ぶ{{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(9)}}。
***'''{{ruby|{{linktext|文身}}|もんしん}}'''({{lang-sa-short|vyañjanakāya}}、<small>ヴャンジャナカーヤ</small>) - 字母の集まり{{sfn|中村|2002|p=96}}。名すなわち名辞、句すなわち文章に対して、音節を意味する{{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(9)}}。文身とも呼ぶ{{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(9)}}。
 
*'''{{ruby|[[無為 (仏教)|無為]]法|むいほう}}'''({{lang-sa-short|asaṃskṛta dharma}}、アサンスクリタ・ダルマ)(3)
**'''{{ruby|虚空|こくう}}'''({{lang-sa-short|ākāśa}}、<small>アーカーシャ</small>) - 物の存在する場所としての空間 {{sfn|櫻部・上山|2006|p=仏教基本語彙(3)}} 。