「山田勝彦」の版間の差分

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5年目の{{by|1992年}}には正捕手として投手陣をリードし、チームの2位躍進に貢献。打撃では打率.204と苦しんだが、本塁打は前年を少しだけ上回る4本を記録した。その後は正捕手の座を手中にするかと思われたが、[[関川浩一]]・[[矢野燿大]]などの存在もあり、自身も伸び悩む。
 
{{by|1999年}}には[[野村克也]]監督に守備を酷評されるが、{{by|2000年}}には[[規定打席]]不足ながら打率.319をマークするなど打撃で開眼し、同年[[8月24日]]の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]戦ではプロ初のサヨナラヒットを放つ。翌年も打撃面では安定し前年より出番は多かったものの守備面では矢野に勝てず二番手捕手止まりだった
 
{{by|2002年}}には正捕手の矢野が故障離脱をしてしまい在籍捕手の中では最多の34試合先発マスクを被ったがチャンスを生かせず、逆に出場機会が減る。同年のシーズンオフに[[下柳剛]]・[[中村豊 (野球)|中村豊]]との複数トレードで、[[伊達昌司]]と共に[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]へ移籍。