「諸樊」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
+ |
m →top |
||
27行目:
前548年秋、[[楚 (春秋)|楚]]の属国である舒鳩が叛いたので、楚の[[令尹]][[屈建]]は兵を率いて舒鳩を攻めた。諸樊は舒鳩の救援のため出陣したが楚軍に大敗し、舒鳩も滅亡した。同年12月、諸樊は楚の属国である巣に攻め込んだが、巣の[[牛臣]]に射殺された<ref name="sashiden"/>。
2019年2月、[[フランス通信社]](AFP)が伝えたところによれば、[[中華人民共和国]]の[[河南省]][[湯陰県]]にある[[羑河東周墓地]]1号墓で諸樊の剣が出土した<ref name=AFP20190202>{{Cite
青銅剣は剣脊{{ママ}}が菱形の形状を持っており、中脊の両側に各14文字、合計28文字の[[銘文]]が刻まれていた{{R|AFP20190202}}。銘文の内容は「工䱷王姑發者反、自乍元用。巳用以獲、莫敢御余。處江之陽、台北南西行」と刻まれており、現代語に訳すと『諸樊が自ら制作し、身に付けて使用した』という意味になる{{R|AFP20190202}}。また、2019年2月時点で現存する唯一の呉王・諸樊の剣である{{R|AFP20190202}}。
|