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[[SF漫画]]から[[学習漫画]]まで幅広い分野で作品を量産し、「漫画の王様」、「漫画の帝王」と評された。(神様手塚と対応してもいる)
 
代表作は、長編では『[[サイボーグ009]]』、『[[佐武と市捕物控]]』、『[[009ノ1]]』、『[[さるとびエッちゃん]]』、『[[人造人間キカイダー (漫画)|人造人間キカイダー]]』、『[[マンガ日本経済入門]]』、『[[HOTEL]]』など<ref name="怪人大画報" />、短編群も大量で長編作品もエピソードの集合が多い。[[仮面ライダーシリーズ]]を始め、[[特撮]]作品の原作者としても活躍した。
 
昭和30年代から40年代、漫画の世界で新しい手法の開発者としてとくに目立った存在であり、多様な分野と作風の中でも特にSF漫画で他への影響が[[手塚治虫]]と並んで大きく、いわゆる手塚風漫画の中で最もスタイリッシュな作風で、各時点での新鮮な画面コマ表現と少女漫画にも通用する滑らかな線をもち、昭和40年代始め頃には漫画の王様と呼ばれていた。この時期の作風は、SF (S&F) 性・詩的叙情・アクションを含むことが多かった。そういうれらの要素は[[1971年]]に放送開始された『[[仮面ライダー]]』以降、徐々に特撮作品へと移っていき、執筆する漫画の傾向は[[青年漫画]]や学習漫画など幅広いものとなっていった。
 
[[1989年]](平成元年)、漫画には「面白い、おかしい」だけではない多数の表現が可能になったとして、漫画の新しい呼び名「萬画」を提唱し「萬画宣言」を発表した (この時期は青年以上向けのシリアスなストーリー漫画は劇画、旧来のより広い意味のものをまんが・マンガ、一コマ四コマを漫画、と呼ばれる傾向があった)。以降は自らの職業を「漫画家」ではなく「萬画家」と称した。没後の[[2007年]]末には、500巻770作品におよぶ個人全集『石ノ森章太郎萬画大全集』([[角川書店]])が、一人の著者による最も多い漫画の出版の記録として[[ギネス・ワールド・レコーズ]]に認定されている(それまでのギネスレコードは手塚治虫)。なお、テレビ原作者([[アニメ]]、実写)としてのクレジットは放映期間のべ六十数年分に及び、[[野村胡堂]]、[[長谷川町子]]らを凌駕して国内最高で、2017年現在も更新し続けている。手塚治虫の衣鉢を継ぐSF漫画の第一人者であったが、熱心なSFの読者としても知られ、海外[[SF小説]]から作品のヒントを得ていたことも指摘されている<ref name="sugayamitsuru2003" />し、本人も作中でよく紹介している。
 
妻の小野寺利子は石森グループ会長。息子に俳優の[[小野寺丈]](長男)と[[石森プロ]]社長の[[小野寺章]](次男)がいる<!-- なお、「石森プロ」と「石ノ森章太郎プロ」を同一のものと勘違いされることがあるが、ふたつは違う会社である。どちらも石ノ森章太郎の作品を管理する会社であるが、石ノ森章太郎プロは石森プロの株主である。会社所在地も異なる -->。親戚(はとこ<ref>http://ddnavi.com/feature/230234/a/ </ref>)に小説家の[[今野敏]]がいる。