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一政は[[慶長]]年間、[[豊臣秀頼]]の代に[[豊臣家]]に仕え、[[片桐且元]]の麾下に属した{{sfn|堀智博|2017|p=85}}<ref name="hanshiko13"/>。この際、豊臣秀吉が滅ぼした「浅井」の姓を名乗ることを憚ったためか{{sfn|堀智博|2017|p=85}}、「今木」を称している{{sfn|堀智博|2017|p=85}}<ref name="hanshiko13"/>。『浅井一政自記』によれば、豊臣秀頼とは直接面会もできる間柄で、信頼を受けていたようである{{sfn|堀智博|2017|p=85}}。
 
慶長19年(1614年)9月、[[大野治長]]らと対立し、暗殺計画があることを知らされた片桐且元が自邸に立て籠もった際には、事態の打開をるべく、豊臣家(秀頼および淀殿)と片桐家の間を奔走した{{sfn|堀智博|2017|p=88}}。且元の大坂城退去に際し、且元は一政もともに退去するよう促したが、一政は固辞して大坂城に残った{{sfn|堀智博|2017|p=97}}。一政は且元の助言に従い、[[伊東長実]]を介して秀頼に詫びを入れて許されたが、疑いの目は向けられたようであり{{sfn|堀智博|2017|p=97}}、『浅井一政自記』に[[大坂冬の陣]]についての記述がないのは城内に留め置かれたためと考えられる{{sfn|堀智博|2017|p=97}}。
 
==== 大坂夏の陣 ====