「東急玉川線」の版間の差分

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==== 路線 ====
開設当初の渋谷駅は、現在の渋谷駅ハチ公口付近の地平にあり、省線山手線のガードをくぐってハチ公口に至っていた東京市電と線路がつながっていた。玉川電車もまた省線山手線のガードをくぐって東口に抜け、直角に南下して稲荷橋から並木橋へと[[明治通り (東京都)|明治通り]]を天現寺橋まで進んでいた。[[1937年]](昭和12年)7月、玉電ビル建設のため、玉電渋谷駅を道玄坂方向に後退した仮設駅に移設。建設に伴うくい打ちのため、山手線をくぐる隧道も使用不能となり、分断された天現寺線の運営を東京市に委託する。翌[[1938年]](昭和13年)12月に東京高速鉄道(現・[[東京メトロ銀座線]])渋谷駅が仮設のような形で玉電ビル3階に設置され、続いて2階に玉電渋谷駅が移設される。時局の悪化のため、7階建てで設計された玉電ビルは3階までで建設を中止。戦後、[[1952年]](昭和27年)から工事が再開され、[[東急百貨店東横店|東急東横店]]西館となる。玉電渋谷駅の廃止時の位置は、現在の東急東横店西館から[[渋谷マークシティ]]の東端部分であり、ホームは対面式2面2線で一方は降車専用、もう一方は手前に下高井戸方面、前方に二子玉川方面と乗り場が分けられていた。なお、JR渋谷駅の「玉川口」「玉川改札」という名称は玉川線が走っていた当時の名残である
 
なお、JR渋谷駅の「玉川口」「玉川改札」という名称は玉川線が走っていた当時の名残である<ref>{{Cite web |date= 2019.05.18|url=https://dot.asahi.com/aera/photoarticle/2019051400086.html?page=1 |title=ちょうど50年前に廃止された「玉電」最終日の「三軒茶屋」 |publisher=AERA.dot |accessdate=2019-05-18}}</ref>。
 
渋谷 - 道玄坂上間には44.7[[パーミル|‰]][[勾配]]が存在していた<!--(「[[道玄坂]]越え」とも言われる)-->。上通 - 大橋間は東京都交通局の[[トロリーバス]]が並走し、交差する架線部分にはデッドセクションが設けられた<ref>林『玉電が走った街 今昔』12頁(勾配)、28-29頁(トロリーバス並走)</ref>。