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{{日本の市
|画像 =
|画像の説明 = <table style="width:280px; margin:2px auto; border-collapse:collapse">
|画像の説明 = [[谷津干潟]]<br />{{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=280|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2}}▼
<tr><td style="width:100%" colspan="2">[[奏の杜]]街区</tr>
<tr><td style="width:50%"style="vertical-align:middle">[[モリシア津田沼]]<td style="width:50%">[[千葉工業大学]]<br/>旧鉄道第2連隊表門</tr>
<tr><td style="width:50%">[[谷津バラ園]]<td style="width:50%"style="vertical-align:middle">[[千葉県国際総合水泳場]]</tr>
</tr>
<tr><td style="width:50%"style="vertical-align:middle">[[習志野市秋津サッカー場|習志野市<br/>秋津サッカー場]]<td style="width:50%"style="vertical-align:middle">[[谷津干潟]]</tr>
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|市旗 = [[ファイル:Flag of Narashino, Chiba.svg|100px]]
|市旗の説明 = 習志野[[市町村旗|市旗]]<br />[[1975年]][[11月13日]]制定
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|特記事項=
}}
'''習志野市'''(ならしのし)は、[[千葉県]]北西部の[[東葛地域|葛南地域]]に位置する[[市]]
[[明治時代]]には[[軍都]]「[[習志野]]」として栄え、[[津田沼駅]]周辺は古くから[[津田沼#%E6%B4%A5%E7%94%B0%E6%B2%BC%E6%88%A6%E4%BA%89%EF%BC%88%E5%95%86%E6%A5%AD%EF%BC%89|津田沼商業戦争]]と呼ばれるほど店舗同士での競争激化が相次ぐ[[関東]]有数の[[繁華街]]となっている<ref group="注">特に昭和53年(1978年)を中心に新聞・雑誌に「津田沼戦争」「[[戦場にかける橋]]」(総武線上をかけただけでなく、当地にあった鉄道連隊もかけたと見られている) 、「津田沼も戦国時代」という見出しが現れた。 東武百貨店著『グッドデパートメント東武百貨店30年の歩み』船橋東武小史・P.177「激戦地、船橋・津田沼」より</ref>。また、[[学習塾]]業界を物語とした[[長編小説]]『[[みかづき (小説)|みかづき]]』<ref group="注">[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]の[[土曜ドラマ (NHK)|土曜ドラマ]]枠</ref>の舞台となっており、[[塾]]激戦区や[[学生街]]を有する文化・教育に熱心な[[文教都市]]でもある<ref>{{Cite web|title=「津田沼戦争」「谷津遊園」…懐かしさと戦後教育の問題描く長編『みかづき』(インタビュー・記事/金井元貴)|url=https://www.sinkan.jp/news/7570|website=だれかに話したくなる本の話 - 新刊JP|accessdate=2019-04-01|language=ja|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|title=住んでみたい街カタログ〜第1回 習志野市〜 {{!}} 習志野市の住まいのことなら京成不動産にお任せ下さい!|url=https://www.keisei-land.co.jp/contents/code/machi_01narashino/link.html%22index.html%22|website=www.keisei-land.co.jp|accessdate=2019-05-20}}</ref>。
== 地理 ==
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[[千葉運輸支局|習志野自動車検査登録事務所]](習志野ナンバー)は、[[千葉県]][[船橋市]][[習志野台]]八丁目57-1に所在しているが、習志野市に所在していると間違われることが多い。
[[都市雇用圏]]における[[東京都市圏]]の[[ベッドタウン]]としての性質が強く、[[高層マンション]]や[[住宅街]]が林立している。通勤率は、[[東京都]][[東京都区部|特別区部]]へ32.7%・[[船橋市]]へ11.7%・[[千葉市]]へ10.5%(いずれも平成22年国勢調査)。
== 歴史 ==
=== 原始・古代・中世 ===
[[千葉市]]の[[加曽利
=== 近世 ===
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[[1873年]](明治6年)、[[牧|小金牧]]の[[大和田原]](現・千葉県船橋市習志野台から[[高根台]]周辺)で[[明治天皇]]御覧の下で[[陸軍]]による演習が行われた。後に明治天皇によって、その地は「習志野原」と命名され、陸軍の演習場となった。なお、演習場の敷地は、その後、拡張され、現在'''習志野市'''・[[八千代市]]の一部の広大なものとなった。※一説には[[篠原国幹]]少将による指揮に感銘し、そのときの天皇の発言(「篠原を見習え」>習え篠原>習志野原)がもととなったという。後に陸軍によって買収され[[習志野|習志野演習場]]となった。
[[習志野|陸軍習志野練兵場]]には[[日露戦争]]の時に[[捕虜]]の収容施設が作られ、[[ロシア]]の捕虜 [http://www.city.narashino.lg.jp/siyakusyo/kyouiku/nichiro/index.html] が、また、[[第一次世界大戦]]の時には、[[ドイツ]]や[[オーストリア|オーストリア=ハンガリー]]の捕虜 [http://www.city.narashino.lg.jp/siyakusyo/kyouiku/horyo/index.html] が収容された。大久保には、第十三・十四・十五・十六の4つの[[騎兵]][[連隊]]と[[習志野陸軍病院|陸軍衛戍病院]](現在の[[千葉県済生会習志野病院]])がおかれ、[[騎兵第1旅団 (日本軍)|第1]]・[[騎兵第2旅団 (日本軍)|第2]]の2つの騎兵旅団が編成された。[[昭和]]に入り騎兵連隊が[[中国大陸]]へと進駐すると、後には[[陸軍習志野学校]]や戦車第2連隊が置かれるようになった。また、近隣の藤崎に騎砲兵第2連隊が、実籾には東西の高津廠舎と糧秣廠倉庫が置かれた。[[津田沼]]には[[鉄道連隊#鉄道第二連隊|鉄道第二連隊]]が置かれ、[[松戸]]から[[津田沼]]までに演習で[[鉄道連隊演習線#習志野線|路線]]が引かれ、それが現在の[[新京成電鉄]]となった。
こうして津田沼町の一帯も含む広い地域が「[[軍郷]]」とよばれ、軍隊の街「習志野」が成立した。近年では旧日本陸軍軍用跡地に毒ガス弾が埋設され残っている問題が浮上した。
=== 太平洋戦争後 ===
[[ファイル:narashinoshiyakusho.jpg
津田沼町周辺は[[軍郷]]・習志野の一部として[[1901年]](明治34年)に設置された騎兵第1旅団(現[[日本大学]]・[[東邦大学]])、騎兵第2旅団(現[[東邦大学付属東邦中学校・高等学校]]など)をはじめ、津田沼駅前に[[鉄道連隊#鉄道第二連隊|鉄道第二連隊]](現[[千葉工業大学]])などの軍関係施設が点在していた。
戦後、軍施設は民用施設に転換され、住宅地となったり、教育施設、病院、工場として利用された。千葉工業大学津田沼キャンパスには、鉄道第二連隊の表門が残されている。北東部の「[[習志野原]]」と呼ばれる旧陸軍演習場の敷地の大部分は、[[外地]]からの引揚者などの手による開墾地となった。(
[[1954年]](昭和29年)8月1日 津田沼町が'''習志野町'''に名称変更、同日[[千葉市]]の一部(旧[[幕張町]]北部)を編入合併、同日[[市制]]施行により'''習志野市'''が成立した。習志野演習場の[[自衛隊]]施設に転用された部分を含む旧[[二宮町 (千葉県)|二宮町]]は[[船橋市]]に編入された(この部分、「[[習志野#習志野市の成立|習志野市の成立]]」を参照)。市制が布かれて以降、「[[津田沼]]」の地名は旧[[久々田]]村の地域を指す地名として残された。[[総武本線|総武線]]は乗客数増加に対応し東京-津田沼間で[[複々線]]化し、快速運転を開始するようになった。また、[[津田沼駅]]周辺に大型店舗が乱立するようになった。[[津田沼#津田沼戦争|津田沼戦争]]を参照のこと)。
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[[習志野]]の陸軍施設の玄関口として[[総武本線|総武線]][[津田沼駅]]北口には戦前から駅前商店街が形成されたが、それらの多くは[[船橋市]](旧二宮町)に属する。津田沼駅北口・南口の再開発事業によって大型商業施設が集積する1970年代後半までは[[京成電鉄]]の[[谷津駅|谷津遊園]](現・谷津)・[[京成津田沼駅|京成津田沼]]・[[京成大久保駅|京成大久保]]・[[実籾駅|実籾]]の各駅周辺に駅前商店街が形成される以外に目立った商業施設は無かった。その中で[[谷津遊園]]に続く谷津遊園駅南口と、大久保の陸軍施設(戦後は国立病院および大学)に続く京成大久保駅北口の商店街は早くから発展し、市内で最も繁華な地区であった。
1970年代後半、[[千葉県立千葉工業高等学校]]と習志野第一中学校といった駅周辺に大きな面積を占めていた学校施設の移転後に再開発事業の行われた津田沼駅周辺では、隣接する船橋市域に跨って[[長崎屋]]や[[パルコ]]、[[イトーヨーカドー]]、[[丸井]](以上北口)、[[高島屋]]、[[ダイエー]](以上南口)などの大型店が相次いで進出し、[[新京成電鉄]]沿線の船橋市東部も含めた膨大な居住人口を背景に
2000年代に入って、造成の遅れていた[[京葉線]][[新習志野駅]]南側に郊外型大型商業施設が進出した。これに対してかつては団地住民の日常の買い物で賑わった袖ヶ浦団地内のショッピングセンターは、苦戦を強いられながらも比較的健闘していたが秋津団地のショッピングセンターは撤退に至り、跡地は[[マンション]]や[[セブン-イレブン]]になった。
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* 「[[ゴジラ×メカゴジラ]]」
* 「[[ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS]]」
*
* 「[[
* 「[[
*「[[きんいろモザイク]]」([[原悠衣]]の漫画作品、アニメ)
* 「キャッチボール×3」[[2010年]](平成22年)秋公開の映画
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}}
==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references group="注" />
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[
* [[:Category:習志野市|Category:習志野市]]
* [[
* [[二宮神社 (船橋市)|二宮神社]]▼
*[[下総国]]・[[葛飾県]]・[[千葉郡]]
* [[オービックシーガルズ]] - オービック習志野グラウンドが茜浜にあり、市内の教育イベントに参加するなど、地元密着の姿勢を盛んに打ち出している。▼
*[[習志野]](広域地名)
*[[津田沼]]
== 外部リンク ==
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