「デオダ・ド・セヴラック」の版間の差分

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== 生涯と作風 ==
[[スペイン]][[貴族]]に連なる旧家に生まれる。地元の[[トゥールーズ]]を去って[[パリ]]に行き、[[パリ音楽院]]に対抗して設立された[[スコラ・カントルム]]に入学して、[[ヴァンサン・ダンディ]]と[[アルベリク・マニャール]]に作曲を、[[アレクサンドル・ギルマン]]に[[オルガン]]を師事する。[[イサーク・アルベニス]]の助手を務めるとともにその個人指導を受けた。その際、アルベニスの未完の絶筆《[[ナバーラ]]》を補筆している。アルベニスの死後、南仏に戻った。
[[File:Saint-Félix-Lauragais - Maison de Déodat de Séverac.jpg|thumb|生家]]
[[歌曲]]や[[合唱]]曲の作品で知られるが、[[ポール・ヴェルレーヌ]]や[[シャルル・ボードレール]]による[[フランス語]]の詩のほかに、[[プロヴァンス語]]や[[カタルーニャ語]]の詩にも曲付けした。より個性的なピアノ独奏曲も高い評価を勝ち得ており、曲や曲集は、《ラングドックにて ''En Languedoc'' 》や《沐浴する娘たち ''Baigneuses au soleil'' 》というように、情景喚起的な題名が添えられている。人気のある作品の例は《古い[[オルゴール]] ''The Old Musical Box'' 》だが、傑作は、[[ラングドック]]の郷里色ゆたかな組曲《セルダーニャ》([[1904年]]~[[1911年]])である。[[歌劇]]《風車の心 ''Le Cœur du moulin'' 》は[[1909年]][[12月8日]]にパリの[[オペラ=コミック座]]で、《[[{{仮リンク|ヘリオガバルス]](セヴラック)|label=ヘリオガバルス|fr|Héliogabale (tragédie lyrique}}''Héliogabale'' 》は[[1910年]]に[[ベジエ]]で初演されている。
[[file:Saint-Félix-Lauragais - Tombe de Déodat de Séverac.jpg|thumb|墓 デオダ・ド・セヴラック]]
[[file:Saint-Félix-Lauragais - Buste de Deodat de Séverac par Joseph Lamasson inuguré le 14 septembre 1924.jpg|thumb|バスト[[サンフェリックス-Lauragaisの=ロラゲ]]にあるデオダ・ド・セヴラックの胸像]]
 
== 主要作品 ==
* ピアノ曲
:{{仮リンク|大地の歌(セヴラック)|label=大地の歌|fr|Le Chant de la Terre (Séverac)}}''Le Chant de la terre'' ([[1900年]])
:{{仮リンク|ラングドックにて|fr|En Languedoc}}''En Languedoc''([[1904年]])
:沐浴する娘たち ''Baigneuses au soleil'' ([[1908年]])
:{{仮リンク|セルダーニャ (セヴラック)|label=セルダーニャ|fr|Cerdaña}}''Cerdaña'' ([[1904年]]-[[1911年]])
:ヴァカンスにて 第1集 ''En vacances'' ([[1912年]])
::1 シューマンへの祈り Invocation à Schumann