「ニキ・ラウダ」の版間の差分

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[[ファイル:Lauda at 1978 Dutch Grand Prix (2).jpg|thumb|right|180px|1978年オランダGP]]
;[[1978年]]
:完走したレースは2勝、2位3回、3位2回と安定して速かったが、BT46はラウダの見込みに反して信頼性が低く、全16戦中6戦をマシントラブルで、3戦をアクシデントでリタイアし、ランキング4位で終わった。[[スウェーデングランプリ]]では[[ファン・カー]]と呼ばれた[[ブラバム・BT46|BT46B]]に乗り優勝したが、リアエンドに取り付けられた冷却用ファンが禁止されている「可動する空力デバイス」に当たるとのクレームを受け、次レースから同システムの使用が禁止された。
:また、この年に[[ラウダ航空]]を設立し実業家としてのキャリアが本格スタート。[[チャーター便]]の航空市場に参入した。
;[[1979年]]
:ブラバムは[[アルファロメオ]]製V12エンジンを搭載する[[ブラバム・BT48|BT48]]で戦っていたが、パワーはあるものの信頼性が低く結果が伴わなかった。また、同年にはアルファロメオのワークスチームがF1に復活しており、エクレストン代表はブラバムがアルファロメオからセカンドチーム扱いされることを避けたい事情から、搭載エンジンをV型8気筒の[[フォード・コスワース・DFVエンジン]]へ変更することを決定。シーズン終盤の第14戦[[カナダグランプリ]]にDFVエンジン搭載の新車[[ブラバム・BT49|BT49]]を投入した。ラウダはこの新車をカナダGP初日のフリープラクティスで走らせた後、予選開始を前に突然レーサーを引退すると発表する。「同じ場所([[サーキット]])を何回も何回も走りまわらなくてもよくなったんだ。一生の終わらないうちに、やっておくべきことが他にあると思うんだ」と理由を語ったが、欧州F2参戦時から高回転のV12エンジン搭載マシン自著『To Hell And Back』長年乗り続けおいきたラウダV8であ、レースに対すDFVエンジモチベーションの出力の無さに幻滅し、突然引退低下決め明かししまったとう説もある。ラウダ自身は『ピットでバーニー(・エクレストン話したが直接交渉で、200万ドル引き金にな契約延長を勝ち取った』と語が、同時に興味を失っていることに気付いたこと<ref name="lauda01"gilles>ジェラルド・ドナルドソン著、豊岡真美・坂野なるたか・森岡成憲訳F1ジル・ヴィルヌーヴ RACING流れ星の伝説2011、ソニーマガジンズ、19911月情報号より、206頁。</ref>。また、これまで乗ってきた高回転型のV12エンジンに比べ、DFVエンジンは「音が平らでこもっており、何もかもが遅く感じられ、退屈だった」こと<ref name=gilles/>。引退後は、実業家としてラウダ航空の経営に専念することとなった。
 
=== マクラーレン時代 ===