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10日には[[降伏]]を促す矢文を送り<ref>大日本史料 12編16冊809頁</ref>、11日には[[甲斐国|甲斐]]や[[佐渡国|佐渡]]の鉱夫を動員して南方より[[土塁]]・[[石垣]]を破壊する為の[[坑道]]の掘削を始めた<ref>大日本史料 12編16冊810頁</ref>。13日、家康は大名一人につき50本の熊手付き梯子を配っている<ref>大日本史料 12編16冊891頁</ref>。更に、[[船場 (大阪市)|船場]]の堀の埋め立ても命じた<ref>大日本史料 12編16冊892頁</ref>。また、大坂方武将への調略も行われ、[[本多正純]]が弟で前田家家老の[[本多政重]]に[[真田信尹]](徳川軍使番・真田信繁の叔父)と協力して、真田信繁を徳川軍に寝返らせるよう指示した文書が残されている。
 
15日に後述する和議交渉が暗礁に乗り上げた翌16日から全軍より一斉砲撃が始められる<ref>大日本史料 12編16冊908頁</ref>。[[北]]方の備前島だけで大筒100門と石火矢が[[本丸]]北側の奥御殿に、南方の[[天王寺]]口からはこれまでの総構から本丸南方の表御殿御対面所(俗称千畳敷)に目標を変更した砲撃が和議締結まで打ち込まれ続けた。
この砲撃では国友製3[[貫目]]の大砲、芝辻理石衛門により[[鍛造]]で造られた鉄製の大砲が使われた。芝辻理石衛門製の大砲は[[靖国神社]]の遊就館に奉納されている。
6月頃にイギリスより購入した[[カルバリン砲]]4門、[[セーカー砲]]1門や7日前に[[兵庫港|兵庫]]に到着したオランダ製4・5貫目の大砲12門([[半カノン砲]]に比例)<ref>{{Cite book|和書|author=宇田川武久|authorlink=宇田川武久|title=真説鉄砲伝来|publisher=平凡社|year=2006}}</ref>も含まれていると思われる。