「アッシリア」の版間の差分

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→‎アッシリア帝国滅亡後のアッシリア人: 思われるというのは主観に過ぎない
アッシュールからニネヴェへの中心の移動を「遷都」と表現するのは適切ではなく、また両河の上流域を中心に栄えたというよりは本来上流域そのものであるため、冒頭部を若干変更。
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{{イラクの歴史}}
 
'''アッシリア'''('''Assyria''')は、[[メソポタミア]](現在の[[イラク]]北部を占める[[地域]]、またはそこに興った[[王国]]([[紀元前2500年|前2500年]] – [[紀元前605年|前605年]])首都は、初期は'''[[アッシュール]]'''で市を中核とし帝国期'''[[ニネヴェ (メソポタミア)|ニネヴェ]]'''に遷都した。南側に[[バビロムルド]]が都隣接するして機能した歴史地理的名称としてのアッシリアは[[チグリス川]]と[[ユーフラテス川]]の上流域、つまり[[メソポタミア]]の北部中心に栄え指し後にメソポタミア南部は一般に[[バビロニア]]呼ばれる。最終的にメソポタミア・[[歴史的シリア|シリア]]・[[古代エジプト|エジプト]]を含む[[世界帝国]]を築いた。き、その遺産は[[ケメネス朝|ハカーマニュ朝]](の偉業はケメネス朝、[[ペルシア帝国]]に受け継がれてその属州となっ王権や社会に影響を与えた。
 
== 概要 ==