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|alphabet=No Mu-hyeon<br />Ro Mu-hyeon<br />No Mu-hyŏn<br />Ro Mu-hyŏn<br />Roh Moo-hyun<ref name="roh">「盧」(ノ、No)という音と綴りが英語圏で否定的なニュアンスを持つことから、英文表記では"Roh"としている。</ref>
}}
'''盧 武鉉'''(ノ・ムヒョン、{{Lang-ko|노무현}}、[[1946年]][[9月1日]]〈旧暦[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]〉- [[2009年]][[5月23日]])は、[[大韓民国|韓国]]の[[政治家]]、第16代大統領([[2003年]][[2月25日]]-[[2008年]][[2月24日]])。[[弁護士]]出身。[[本貫]]は[[光州盧氏]]。妻の[[権良淑]](クォン・ヤンスク)との間に1男1女。歴代大韓民国大統領で最初の[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]を経験していない世代の大統領である。
== 経歴 ==
=== 生い立ち・弁護士として ===
アメリカ統治時代の1946年9月1日に[[慶尚南道]][[金海市|金海郡(現:金海市)]]進永邑(チニョンウプ)烽下(ポンハ)村(マウル)の貧しい農家である父・盧判石(ノ・パンソック)、母・李順礼(イ・スンレ)の三男二女の末っ子に生まれる<ref name="dare" />。母親は身ごもっている最中に
「オピニオン」商業高校|author= |newspaper= 東亜日報|date= 2002-12-20|url= http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2002122120548&path_dir=20021221|accessdate=}}</ref>、卒業後に「三海工業」という小さな魚網会社に就職するが、その待遇に失望して一カ月半で退職。[[司法試験]]への挑戦を決意する<ref>盧 武鉉 (原著) [[青柳純一]] (翻訳)『韓国の希望 盧武鉉の夢』、115-116頁及び134頁</ref>。盧武鉉は自著に貧しさ故に高卒で社会に出たこと、就職に失敗して独学で弁護士の道を志すようになったことは、盧武鉉の政治家人生における一種の稀少価値となったと記している<ref name="jicho">盧 武鉉 (原著) [[青柳純一]] (翻訳)『韓国の希望 盧武鉉の夢』、122頁。</ref>。当時、高卒では司法試験を受ける資格が与えられなかったが、故郷に帰って村外れのぼろ家に手を加えて「磨玉堂」と名づけて勉強の場とし<ref name="dare" />、日雇い労働をしながら[[1966年]]11月に資格試験(司法及び行政要員予備試験)に、[[1971年]]に三級公務員の一次試験に合格。1968年から1971年の[[徴兵制度#大韓民国|兵役]]をはさんで勉強を続け、[[1975年]]に29歳で第17回司法試験に合格した後、盧に他の道が開けた<ref name="dare" />。
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