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[[紀元前258年]]、[[長平の戦い]]にて趙軍を大破した秦軍が、趙の首都[[邯鄲市|邯鄲]]を包囲した。安釐王は趙の救援要請に対して、[[晋鄙]]を将軍に任じ援軍を出すことは出したが、そこで秦から「趙の滅亡は時間の問題であり、援軍を送れば次は魏を攻める」と脅されたため、援軍を国境に留めおいて実際に戦わせようとはしなかった。信陵君の姉は平原君の妻になっていたので、信陵君に対して姉を見殺しにするのかとの詰問が何度も来た。信陵君はこれと、趙が敗れれば魏も遠からず敗れることを察していたため、安釐王に対して趙を救援するように言ったが受け入れられず、しかし見捨てることも出来ぬと信陵君は自分の[[食客]]数百名を率いて自ら救援に行こうとした。
 
この時、侯嬴は見送りの群衆の中に居たが、素っ気なかった。信陵君は自分が死地に向かうのに何だろうか、と態度が気になり、一人引返した。ここで侯嬴は信陵君に策を授ける。「信陵君の手勢だけでは少数すぎて犬死となるだけであり、国軍を動かすべきです。王の手元から国軍に命令を下すための[[割符]]を魏王の寝室にあるとのこと。これを王が寵愛する[[如姫]]に盗ませ、将軍の晋鄙がこれを疑ったならば、朱亥に将軍を殺させ軍の指揮権を奪いなされ。如姫は信陵君に恩義があるので協力するでしょう<ref>かつて、魏王の寵愛する如姫の父が殺されたときに、魏王を始めとした廻りの人に[[敵討ち]]を頼むものの、誰も相手にしなかった。しかし信陵君は頼まれるや、自らの客を使って犯人を見つけ出し仇を討ったため、如姫は信陵君に恩義を覚えている。</ref>、将軍の晋鄙がこれを疑ったならば、朱亥に将軍を殺させ軍の指揮権を奪いなされ」と説いた。これを聞いて信陵君は涙した。「晋鄙将軍は猛烈で歴戦を経ている。命令に従わないであろうから、殺さなければならない」と悲しんだためである。しかし断じて信陵君は朱亥の所へ行った。朱亥は「貴方は一介の肉屋に過ぎない私を度々遇されましたが、私は礼を言いませんでした。その恩義に対して小さな礼はお返しにならないと思っていたからです。貴方が窮地にある今こそ、命を以ってお役に立ちたいと思います」と答えた。そして割符を得て出立する際、侯嬴は信陵君に「共に行きたいのですが、この老体では役に立てませんので、この生命を手向けとさせて頂きます」といった。
 
そうして信陵君は国境の城に出向き、割符を見せ、軍を率いていた晋鄙将軍に交代するよう言ったが、晋鄙はやはり確認のための伝令を出すと言った。このためやむなく朱亥が40斤の金槌で晋鄙を命令違反として撲殺し、丁重に埋葬した。なおこれに前後して侯嬴は、約束を守り信陵君がいる方向へ自刎した。
 
信陵君はまず、兵が魏に戻れないことも考え、親子で従軍している兵は親を、兄弟で従軍している兵は兄を帰し、また一人っ子の兵も孝行させるために帰した。そうして残った兵を率いて戦った。い、秦軍を退けることはできた。勝利したものの勝手に軍を動かしたことで安釐王の大きな怒りを買うと解っていたので、兵は自分の命令に従っただけで罪はないとして魏に帰し、自分と食客は趙に留まった。趙は救国の士として信陵君を歓待し、5城を献上しようとした。最初は信陵君もそれに応じようとしたが、食客に諭され以後固辞した。
 
趙に滞在中、信陵君は[[博徒]]の間に隠れていた毛公と味噌屋に身を隠していた薛公に、会って話がしたいと使者を出したが断られた。すると自ら徒歩で彼らのもとへ趣き、両者と語り合って大いに満足した。しかし平原君はこの事を聞いて「信陵君は名声高いと聞くが、そのような者たちと交わるのか」と馬鹿にした。姉である平原君の妻が信陵君を訪れると、出立の準備をしていた。信陵君は「私は賢人と話をしたいと思ったが、毛公と薛公が居なかったため出向いた。お二方は趙にいた頃から賢人と聞いており、会ってもらえないかもと思っていたほどのであり、その語らいを恥と言う平原君は外面だけを気にする方のようだ。もはや平原君と関わりたくない」と国外へ去ろうとした。これを聞いた平原君は、信陵君が居るからこそ趙は秦に攻められていないこともあり、去られては大変と冠を脱いで謝罪した。これを聞いた平原君の食客達の半数が、身分に関係なく才を処遇する信陵君下に集まったと言う。
 
=== 帰国 ===