「習志野市」の版間の差分

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<tr><td style="width:50%"style="vertical-align:middle">[[習志野市秋津サッカー場|秋津サッカー場]]<td style="width:50%"style="vertical-align:middle">[[谷津干潟]]</tr>
</table><br />{{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=280|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2}}
|市旗 = [[ファイル:Flag of Narashino, Chiba.svg|100px]]
|市旗の説明 = 習志野[[市町村旗|市旗]]<br />[[1975年]][[11月13日]]制定
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== 地理 ==
千葉県の北西部、東は[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]である[[千葉市]]、西は[[船橋市]]、北は[[八千代市]]に接し、南は[[東京湾]]奥部の[[千葉港]]第5区に面しており、[[下総台地]]の端に位置する。海岸部から内陸部にかけて高低差が大きい。東京湾沿いには広大な遠浅の海岸を埋め立てた[[住宅地]]や商工業地が広がるなか、1ヶ所だけ埋め立てられないで残った[[ラムサール条約]]登録地[[谷津干潟]]があり、[[干潟]]を必要とする[[渡り鳥]]の重要な中継飛来地となっている。

[[東京都]]の[[都心]]から約20-30キロメートルの地点に位置し、[[都市雇用圏]]における[[東京都市圏]]([[東京都区部]]・[[千葉市]])の[[ベッドタウン]]としての性質が強く、[[高層マンション]]や[[住宅街]]が林立している。通勤率は、東京都特別区部へ32.7%・船橋市へ11.7%・千葉市へ10.5%(いずれも平成22年国勢調査)。
 
[[千葉運輸支局|習志野自動車検査登録事務所]](習志野ナンバー)は、[[千葉県]][[船橋市]][[習志野台]]八丁目57-1に所在しているが、習志野市に所在していると混同されることが多い。
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[[習志野|陸軍習志野練兵場]]には[[日露戦争]]の時に[[捕虜]]の収容施設が作られ、[[ロシア]]の捕虜 [http://www.city.narashino.lg.jp/siyakusyo/kyouiku/nichiro/index.html] が、また、[[第一次世界大戦]]の時には、[[ドイツ]]や[[オーストリア|オーストリア=ハンガリー]]の捕虜 [http://www.city.narashino.lg.jp/siyakusyo/kyouiku/horyo/index.html] が収容された。大久保には、第十三・十四・十五・十六の4つの[[騎兵]][[連隊]]と[[習志野陸軍病院|陸軍衛戍病院]](現在の[[千葉県済生会習志野病院]])がおかれ、[[騎兵第1旅団 (日本軍)|第1]]・[[騎兵第2旅団 (日本軍)|第2]]の2つの騎兵旅団が編成された。[[昭和]]に入り騎兵連隊が[[中国大陸]]へと進駐すると、後には[[陸軍習志野学校]]や戦車第2連隊が置かれるようになった。また、近隣の藤崎に騎砲兵第2連隊が、実籾には東西の高津廠舎と糧秣廠倉庫が置かれた。[[津田沼]]には[[鉄道連隊#鉄道第二連隊|鉄道第二連隊]]が置かれ、[[松戸]]から[[津田沼]]までに演習で[[鉄道連隊演習線#習志野線|路線]]が引かれ、それが現在の[[新京成電鉄]]となった。
 
こうして津田沼町の一帯も含む広い地域が「[[軍郷]]」とよばれ、軍隊の街「習志野」が成立した。近年では日本全国の日本陸軍軍用跡地で旧帝国陸軍地毒ガス弾が埋設され残っている問題が浮上した。旧日本陸軍習志野駐屯地跡地、関連施設ある[[船橋市]]・[[八千代市]]など近隣市町村にまたがる広域の問題となっている。[[環境省]]・[[財務省 (日本)|財務省]]・[[防衛省]]が安全性調査を行っ実施しているが、現在まで健康被害は確認されていない<ref>[http://www.mod.go.jp/j/info/narasino/index.html 防衛省:習志野演習場に係る旧軍毒ガス弾等の環境調査について]</ref>(別項[[陸軍習志野学校]]、[[習志野演習場]]を参照)
 
=== 太平洋戦争後 ===
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=== 商業 ===
{{main|津田沼}}[[習志野]]の陸軍施設の玄関口として[[総武本線|総武線]][[津田沼駅]]北口には戦前から駅前[[商店街]]が形成されたが、それらの多くは[[船橋市]](旧二宮町)に属する。津田沼駅北口・南口の再開発事業によって大型商業施設が集積する1970年代後半までは[[京成電鉄]]の[[谷津駅|谷津遊園]](現・谷津)・[[京成津田沼駅|京成津田沼]]・[[京成大久保駅|京成大久保]]・[[実籾駅|実籾]]の各駅周辺に駅前商店街が形成される以外に目立った商業施設は無かった。その中で[[谷津遊園]]に続く谷津遊園駅南口と、大久保の陸軍施設(戦後は国立病院および大学)に続く京成大久保駅北口の商店街は早くから発展し、市内で最も賑わう[[繁華な地区街]]であった。
 
1970年代後半、[[千葉県立千葉工業高等学校]]と習志野第一中学校といった駅周辺に大きな面積を占めていた学校施設の移転後に再開発事業の行われた津田沼駅周辺では、隣接する船橋市域に跨って[[長崎屋]]や[[パルコ]]、[[イトーヨーカドー]]、[[丸井]](以上北口)、[[高島屋]]、[[ダイエー]](以上南口)などの大型店が相次いで進出し、[[新京成電鉄]]沿線の船橋市東部も含めた膨大な居住人口を背景に[[津田沼#津田沼戦争|津田沼戦争]]と呼ばれる激しい競争が展開した。これらの大型店のうち長崎屋、高島屋は1980年代に、ダイエーが[[2005年]](平成17年)末に、丸井が[[2007年]](平成19年)に撤退しているが、[[2003年]](平成15年)[[10月4日]]に[[イオン (企業)|イオン株式会社]]がイオン津田沼ショッピングセンター(現・[[イオンモール津田沼]])をオープン、[[2007年]](平成19年)[[11月9日]]に[[ファーストリテイリング]]が[[ユニクロ]]を核店舗とした[[ミーナ (商業施設)#ミーナ津田沼 (mina tsudanuma)|ミーナ津田沼]]を丸井撤退後の店舗にオープンさせ、更に[[2008年]](平成20年)にはダイエー撤退後の津田沼サンペデックビルが[[モリシア津田沼]]と名称を変え(後々ダイエーは戻ってきた)、[[ヤマダ電機]]LABI津田沼店と[[イオン (店舗ブランド)|イオン]]モリシア津田沼店ほか多数テナントをオープンさせた。また、奏の杜地区の再開発が行われ、奏の杜フォルテなど大型店舗が新たにオープンしている
 
2000年代に入って、造成の遅れていた[[京葉線]][[新習志野駅]]南側に郊外型大型商業施設が進出した。これに対してかつては団地住民の日常の買い物で賑わった袖ヶ浦団地内のショッピングセンターは、苦戦を強いられながらも比較的健闘していたが秋津団地のショッピングセンターは撤退に至り、跡地は[[マンション]]や[[セブン-イレブン]]になった。
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* [[全国市町村一覧]]
*[[千葉県第2区]]([[選挙区]])
 
*[[下総国]]・[[葛飾県]]・[[千葉郡]]