「市川崑」の版間の差分

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ミステリ映画脚本の際に用いられるペンネーム「'''[[久里子亭]]'''」(くりすてい、[[アガサ・クリスティー]]のもじり)は、当初は和田と市川の、後年は[[日高真也]]と市川の共同名義である。「日本文学全集」(石上三登志)と揶揄気味に評されるほど純文学の映画化が多い市川だが、このネーミングに示されるようにミステリーへの造詣も非常に深い。『犬神家の一族』では脚本第1稿から謎解きドラマで、同時期の『[[八つ墓村 (1977年の映画)|八つ墓村]]』([[1977年]](昭和52年)、松竹、監督:[[野村芳太郎]])と好対照を成した。その他の[[金田一耕助]]シリーズでも、派手なスプラッタ場面などを織り込みつつも、毎回同じキャラクターなのに違う役名で現れる[[加藤武]]演ずる警部には、当初金田一を邪魔者扱いしながらも後半には微かな友情が芽生えるが、毎回リセットされてしまう(次作ではまた初対面)など、遊びの要素があった。
 
脚本を完全単独執筆することはほとんどなかった。『女王蜂』の脚本を共同執筆した[[桂千穂]]は、市川から突然「海辺を疾駆する白い馬の絵が撮りたい」と言われ、それはストーリーとどう結びつくのかと尋ねたところ、そこを君が考えてくださいと返された。桂は脚本と平行して映画評論家としても知られるが、作家のテーマ語りや自分語りを嫌い娯楽性を重視するタイプでもあり、一貫して市川作品を支持し続けている。インタビューなどでも作品論を理論づけたりすることは得意ではなく、来日した評論家あがりの[[フランソワ・トリュフォー]]を苛々させたこともあった。和田夏十、谷川俊太郎、日高真也、[[長谷部慶治]]らがブレーンとして支えたとはいえ批評家泣かせであったといえる。
 
=== キャスティングとスタッフ ===