「ザ・トップテン」の版間の差分

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=== 代役司会 ===
堺が出演できないとき、[[高島忠夫]]や徳光などがピンチヒッターで司会を務めていた。<ref>なお、{{efn|[[1984年]][[10月8日]]放送分では堺が[[ロサンゼルス]]から[[衛星中継|衛星生中継]]で登場。当日は[[日本テレビ放送網麹町分室|日本テレビGスタジオ]]から放送され、小倉が司会と「エレクトリックご主人」の一人二役をこなした。</ref>}}。
 
== ランキングの決定方法 ==
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== 主な会場 ==
主に[[渋谷公会堂]]から公開生放送を行っていた。ただし、他の興行や[[メンテナンス]]のため使用できないとき、[[日本青年館]]・[[メルパルク東京|東京郵便貯金ホール]](現メルパルク東京)・日本テレビGスタジオ<ref>{{efn|規模を縮小した形ながらスタジオ内に観客席を仮設して公開放送を実施した。</ref>}}のいずれかに場を移して生放送された。
 
歌手が関西方面に集中し、[[大阪府|大阪]]・[[池田市]]民文化会館大ホール(アゼリアホール)から生放送したことがあった。
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*オープニング、エンディングの各タイトルバックにそれぞれ、[[バーズ_(音楽ユニット)|ザ・バーズ]](日本テレビ音楽学院(現・[[日テレ学院]]タレントコース)のレッスン生。[[渡辺プロダクション]]の[[スクールメイツ]]に相当する)がオープニングでテーマ曲に合わせて踊り、その最後に「'''10'''」・エンディングは「'''END'''」の[[人文字]]を作り盛り上げるシーンがあった(エンディングでの画面下部の表示テロップは「'''ザ・トップテン また来週…'''」(年内最後の放送は「また来年…」→「来年もよろしく!」)であった)。
:また、1985年3月まではオープニングの提供読みが終わるタイミングで堺と榊原がザ・バーズの後ろから登場するという演出がなされていた。
*放送開始から1985年3月までは、月曜日の22時から[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で同じく歌番組である「[[夜のヒットスタジオ]]」(夜ヒット)が放送されていた。こちらも生放送であり、ランキング番組ではないためトップテンよりも早く出演者のスケジュールを押さえていたため、ランクイン歌手で当日の夜ヒット出演者は止むを得ずトップテンの出演を辞退した(堺と榊原が「スケジュールの都合でご出演いただけませんでした」と紹介)<ref>{{efn|ただし、別番組の仕事でフジテレビ本社(当時、[[新宿区]][[河田町]])にいる場合は同局から中継することがあった(一例:1983年10月31日の放送では、第3位に入った[[松田聖子]]が『[[新春スターかくし芸大会]]』の収録で来局していた)。</ref>}}。ただ、夜ヒットは1985年4月より「夜のヒットスタジオDELUXE」と改題し水曜日に移動したため、それ以降は「スケジュールの都合」による出演辞退は減った。
*トップテンに初出場した歌手は必ず記念写真を撮影する。撮影した写真は会場のセットに掲示された。撮影の際の掛詞は「(堺)親子で」「(榊原)ブーッ!」であった。
*曲のイントロ部分で視聴者からのはがき紹介や、ゲストの小話をするザ・ベストテンと異なり、ザ・トップテンではイントロにナレーションをかぶせない配慮がなされていた。
*メインの提供スポンサーは花王石鹸(現・[[花王]])であった。ザ・トップテンの場合は、毎回番組の中程(「もうすぐトップテン」発表直後あたり)に花王ヘアケアシリーズ([[エッセンシャル (シャンプー)|エッセンシャル]]シャンプー、トリートメントなど)の視聴者プレゼントがあった。プレゼントは他に、[[江崎グリコ]]の商品(アーモンドチョコレート、[[ポッキー]]など)、[[コカ・コーラ]]<ref>{{efn|夏期(4月 - 9月)のみの提供スポンサー</ref>。}}のノベルティグッズ、ネッスル(現・[[ネスレ日本]])<ref>{{efn|冬期(10月 - 3月)のみの提供スポンサー</ref>。}}のギフトセット、[[日清食品]]の[[カップヌードル]]1ケースなどもあった<ref>{{efn|春秋の改編期や年末年始時期に拡大スペシャルを放送するは、19:00 - 19:30はその枠のスポンサー、19:30 - 20:00は当時この枠を[[一社提供]]していた[[ロート製薬]]が担当するが、これらのスポンサーからはプレゼントは出なかった。なお19:30からの拡大スペシャルでは、ロート製薬の[[オープニングキャッチ]]は行わなかった。</ref>}}。これらはハガキで曲をリクエストし、かつ抽選で選ばれた30名に含まれていることが条件であり、これが『[[歌のトップテン]]』にも引き継がれたが、そちらではエンディングのスタッフロール終了直後と最後のCMの間に移動した。
*ランキング発表時に画面にコンピュータ表示される[[サル]]の顔の表情によって順位変動が示される(上昇=笑顔(舌を出す)。変わらず=普通。下降=困った顔(涙をこぼす)、上昇と下降のそれぞれの違いについては明確にされていない。ただし1位をキープした場合には笑顔)。末期のCGにはなくなる。
*堺は榊原の事を「[[ブタ|トントン]]」と終始呼び、「じゃあトントン次のランキングに…」という会話だった。
*放送は[[プロ野球]]の試合が基本的にない月曜日<ref>{{efn|仮に後楽園球場の巨人戦がったとしても、深夜番組『[[11PM]]』の「イレブンナイター」として録画放送することが大半だった。</ref>}}であったため、通常は放送休止になることはめったになかったが、特に9月から10月にかけて(主に予備日として)月曜日に急遽試合が組まれた場合は[[読売ジャイアンツの主催試合の中継|巨人戦中継]]が優先された。生放送、また前もって出演者のスケジュールが調整されていたこともあり(さらには[[読売ジャイアンツ|巨人]]の本拠地が雨天中止もありえる[[後楽園球場]]の時代であったため)放送休止とはいかず、多くは翌火曜日16:00<ref>{{efn|この枠は、通常は青春ドラマや、『[[太陽にほえろ!]]』を筆頭とした[[刑事ドラマ]]の再放送枠『[[青春アワー・青春アクションシリーズ|青春アワー]]』または『[[青春アワー・青春アクションシリーズ|青春アクションシリーズ]]』(平日帯。[[関東ローカル]])であり、当番組の録画放送の際は休止された。</ref>}}に[[撮って出し]]での録画放送された(スポンサーは一時期花王石鹸が付いたが、スポンサーなしの時期もあった)。なお、民放2・3局地域のクロスネット局・非マストバイ局を中心とした一部系列局では、他系列番組などの関係上録画放送のネット受けができない場合があったため、それらの局に配慮して翌週の放送冒頭で簡単にランキングを紹介していた。
 
== 歴史 ==
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*1981年9月21日、当時『スキヤキ'81』をヒットさせ来日中の[[テイスト・オブ・ハニー (バンド)|テイスト・オブ・ハニー]]が出演、『スキヤキ'81』の原曲『[[上を向いて歩こう]]』を歌った[[坂本九]]と共演した。
*1981年9月28日、[[西田敏行]]が「もしもピアノが弾けたなら」で初出場したが、「写真映りが気に入らないから」と3週にわたって記念撮影をした。3回目の撮影には両手に1・2回目の写真を持っていた。
*1982年3月29日、[[大山のぶ代]]が話題曲コーナーに出場し、[[テレビ朝日]]のアニメであるにもかかわらず『[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん]]』のエンディングテーマ「まる顔のうた」を歌った<ref>{{efn|当時テレビ朝日系列局が少なかったため、日本テレビ系列局でもテレビ朝日系列とのクロスネット局や、同系列局不在地域の非マストバイ局では、『ドラえもん』を遅れネットしていた局もあった。</ref>}}
*1982年5月17日、最高視聴率の28.8%([[ビデオリサーチ]]調べ、関東地区)を記録。この週の1位は[[近藤真彦]]の「[[ふられてBANZAI]]」。
*1982年10月4日、この時期になっても[[読売ジャイアンツ|巨人]]と[[中日ドラゴンズ|中日]]が[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]ペナントレースで猛デッドヒートを繰り広げている影響から、「巨人×[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋]]」戦([[後楽園球場]])が19:30 - 20:54枠で編成され<ref>{{efn|19:00から放送しなかったのは、この日よりテレビアニメ『[[忍者マン一平]]』が開始するされたため。なお19:30放送予定の『[[勝抜きドンドン歌合戦]]』は、翌[[10月11日|11日]]に放送延期した。</ref>}}、開始1年半にして初めて月曜に放送せず。当日は前述の通り渋谷公会堂で収録し、翌5日の16:00に録画放送した。
*1983年4月4日、[[藤村美樹]]の「[[夢・恋・人。]]」が10位にランクイン。当時、藤村は結婚と同時に芸能活動休止を表明。奇しくもこの日が結婚式の日(5年前の[[キャンディーズ]]解散日でもある)で、披露宴会場からの生中継で同曲を熱唱。歌唱中感極まって泣き出す場面もあった。
*1985年4月9日、番組の各種要素をリニューアル。番組テーマ曲が新しいアレンジのものに変更。ランキング発表のGGが過去3週の折れ線グラフに変更。(トップテン圏外は<span style="color:#EA3458">★</span>で表示していた。)猿の顔も変更し、順位変動の表情も3種類になった。またエレベーターもリニューアルされた。
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*1985年11月18日、前週の11月14日に本放送を終了した『[[アメリカ横断ウルトラクイズ|史上最大!!第9回アメリカ横断ウルトラクイズ]]』で第9代クイズ王となった金子孝雄が、同番組で海外リポーター・出題を務める[[福留功男]](当時・日本テレビアナウンサー)と共に出演、ランクインした近藤真彦と共に3本勝負のクイズ合戦を行った(勝者は近藤)。なおクイズは同番組で使用されている「[[アメリカ横断ウルトラクイズ#早押しテーブル|早押しテーブル]]」と「[[アメリカ横断ウルトラクイズ#早押しハット(ウルトラハット)|ウルトラハット]]」を使用した。
*1986年2月24日、[[中山美穂]]の「[[色・ホワイトブレンド]]」と[[杉浦幸]]「[[悲しいな]]」が10位に同点で2曲同時にランクイン。
*1986年3月31日放送(第256回)をもっ。翌4月7日に新番組『[[歌のトップテン]]』へ継承。この週の1位は[[中森明菜]]の「[[DESIRE -情熱-|DESIRE]]」。
 
== ザ・ベストテンとザ・トップテンの相違点 ==
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|-
! 観客の公開
| 原則非公開<ref>{{efn|ただし、年に1回の地方公開生放送があった。</ref>}}
| 公開
|-
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! 得点表示
| 4桁
| 5桁(11 - 20位は表示し)
|-
! 初出場の儀式
125行目:
|-
! 歌詞表示
| し → 初登場曲 → 全曲に表示
|
|-
! 作詞・作曲者表示
| 表示あり
|
|-
! 11 - 20位の紹介
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|}
 
=== ザ・ベストテンでは10位内に入ったことがないが、ザ・トップテンでは10位内に入った曲 ===
特にアイドル・演歌歌手の曲はザ・ベストテンよりも高順位で、ランクインもしやすい傾向にあった。
 
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** [[熱き心に]]([[小林旭]])
 
=== ザ・ベストテンでは1位になったことがないが、ザ・トップテンでは1位になった曲 ===
 
* [[ヨコハマ・チーク]]([[近藤真彦]])
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=== トップワン記録(V6以上の曲を掲載) ===
*V10-[[寺尾聰]]「[[ルビーの指環]]」<ref>{{efn|2週1位を獲得したあと、近藤真彦「[[ヨコハマ・チーク]]」に1位を明け渡すが、翌週1位に返り咲き、そこから8週連続1位を記録。</ref>}}
*V8-[[中森明菜]]「[[セカンド・ラブ (曲)|セカンド・ラブ]]」
*V7-[[近藤真彦]]「[[ギンギラギンにさりげなく]]」・[[中森明菜]]「[[1/2の神話]]」・[[チェッカーズ]]「[[星屑のステージ]]」
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=== 2週以上ランクインしたが、1度しか披露されなかった曲 ===
*[[シンデレラ サマー]](1981年)[[石川優子]]
*[[ムーンライト・キッス]](1981年)[[河合奈保子]]- ランクイン当時は後述の転落事故による腰椎骨折の重傷を負い、1度しか出演出来できず。
*[[GOOD-BYE青春]](1983年)[[長渕剛]]
*[[Woman "Wの悲劇"より]](1984年)[[薬師丸ひろ子]]
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== できごと ==
*1981年10月5日、この日番組に出演する予定だった[[河合奈保子]]が[[NHKホール]]で転落事故(『[[レッツゴーヤング]]』の収録中)に遭ったという第一報が伝えられた<ref>なお{{efn|同日は[[テレビ長崎]]でのネットを開始した日でもあり、そのテレビ長崎にとっては後味の悪い“初回放送”となってしまった</ref>}}
*1983年3月28日、[[沖縄県|沖縄]]から[[生中継]]される予定だった[[松田聖子]]が、番組開始直前のコンサート会場で「[[渚のバルコニー]]」を歌唱中に乱入してきたファンから突如暴行を受け、中継ができなくなるという事件が起きた。この沖縄コンサートの事件の模様は日本テレビが放送用に収録している最中に起き、テレビニュースなどで何回も放送された。奇しくもこの日はトップテン自体が「八元生中継」という非常に生中継が多い日というのを目玉にしていた中で起きたもので、番組冒頭では(上記の河合のケースとは異なり)司会者の2人にまだ事件のことが伝わっておらず、淡々と中継説明をするに終始していた。
*1983年6月27日、河合奈保子の「[[エスカレーション (河合奈保子の曲)|エスカレーション]]」が8位にランクイン。コンサートで訪れていた[[名古屋市]]の[[ホテル]]にある[[プール]]から中継出演した。この時は名古屋でダンスの世界大会が行われていたが、その大会へ出場するために同ホテルへ宿泊・プールで泳いでいた[[西ドイツ]](当時)の男性が中継に気付くや否や、曲に乗って突然踊りだした。この男性は、翌週には日本テレビ側から打診され、同年7月4日、河合と共演した。この出来事は、2012年2月27日放送の『[[人生が変わる1分間の深イイ話]]』で取り上げられた。
*1983年11月28日、松田聖子の「[[瞳はダイヤモンド]]」が1位にランクイン。10曲連続トップワンをお祝いし表彰しようとしたところ、観客の男が乱入してくるという騒動があった。堺がとっさに男を追い払ったが、その後も松田と堺、榊原、そして会場の観客は動揺している様子であった。
*1984年4月9日、[[倉沢淳美]]の「[[プロフィール (倉沢淳美の曲)|プロフィール]]」がランクイン。ちょうど100組目の出場者にあたっていたが、前日[[札幌市]]において開催されたサイン会で切りつけられる事件(詳細は倉沢の項を参照)で負傷し、帰京後取材したVTRが流された。[[わらべ]]としても「[[もしも明日が…。]]」でランクインしていたが、好評だったというアニメが流された。
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*1984年10月22日、[[中森明菜]]の「[[十戒 (1984)|十戒]]」が5位にランクイン。エレベーターで会場に中森が登場と同時に、会場の観客から「帰れ」コールを喰らわされたことがあった。同年末の『トップテンスペシャル』で堺はこのことについて触れ、「あれはよくなかった。歌う方が出てくるときは気持ちよく迎えてあげるべきである」とのコメントを述べた。
*1985年3月11日、近藤真彦の「[[ヨイショッ!]]」が2位にランクイン。近藤は会場に登場する際におどけてエレベーターの降りる位置を間違え、中間の梁の部分に立ち、司会者の堺と榊原は呆然としていた。
*1985年8月12日、番組冒頭に報道センターから臨時ニュースがあり、[[小林完吾]]キャスター(当時日本テレビアナウンサー)<ref>{{efn|前番組『[[NTV紅白歌のベストテン#レギュラー|紅白歌のベストテン]]』(「ウソ発見器」のナレーションや代理進行役等を務めた)にも出演していた関係で、最初に振ったときに「堺さん」と発し、速報を伝えた。本編最後の速報の後に小倉が「小林さん、ありがとうございました」の後、視聴者プレゼントのお知らせをした。</ref>}}が速報で、日本航空123便が行方不明になったこと([[日本航空123便墜落事故]])を報道した<ref>{{efn|20時の段階では墜落は未確定だったものの、[[アメリカ空軍]][[横田基地]]から[[運輸省]]に入った連絡や[[長野県警察|長野県警]]に入った住民からの目撃情報などを伝えた。</ref>}}。その後も時折番組を中断して報道センターから最新情報を伝えた<ref>{{efn|2回目(20時20分頃)の速報で長野県警が「[[長野県]][[南佐久郡]][[北相木村]]で墜落した事を確認した」と伝えた。3回目の速報(20時40分頃)は2回目と同じ内容を伝えたが、4回目の速報(20時50分頃)では「北相木村と[[川上村 (長野県)|川上村]]の間の[[ぶどう峠]]付近に墜落」と伝えた。</ref>}}。「500人以上を乗せた飛行機の墜落」というあまりに重大な惨事が判明してからは、渋谷公会堂もさすがに重い空気となってしまい、[[小泉今日子]]<ref>{{efn|放送中にこのニュースに関連した堺からのインタビューで当日飛行機で札幌から上京したことを明かした。みに、小泉が搭乗していたかどうかは不明だが、当日の[[千歳基地|札幌]]発[[東京国際空港|羽田]]行[[日本航空|JAL]]504便の機体は[[日本航空123便墜落事故#事故当日のJA8119番機|同墜落事故の当該機(JA8119)]]であった。</ref>}}や[[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]]、[[薬師丸ひろ子]]など出場者の一部もこの件について述べ、終始硬い表情で終わった<ref>{{efn|沖縄テレビ(遅れネットで放送していた沖縄テレビでの対応については不明</ref>。}}
 
== スタッフ ==
356行目:
|[[青森県]]
|[[青森放送]]
|日本テレビ系列<br />[[All-nippon News Networkオールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
|
|-
402行目:
|[[富山県]]
|[[北日本放送]]
|放送当時日本テレビ系列局がかった[[石川県]]の中継も担当
|-
|[[福井県]]
|[[福井放送]]
|{{要出典範囲|date=2015年8月|放送当時日本テレビ系列局がかった[[石川県]]の中継も担当<!--北日本放送は現に何度か中継で出てきたが、福井放送については記憶がないので要出典範囲を北日本放送から移しました-->}}
|-
|[[東海3県|中京広域圏]]
455行目:
|[[テレビ長崎]]
|[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]<br />日本テレビ系列
|1981年10月5日からネット開始<ref>{{efn|それまでは[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[フジテレビ月曜8時枠の連続ドラマ|連続ドラマ]]を放送していた。</ref>}}
|-
|[[熊本県]]
474行目:
|[[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]
|フジテレビ系列<br />日本テレビ系列
|1982年10月からネット開始<ref>{{efn|[[鹿児島放送]]の開局でテレビ朝日系列の番組(『[[ワールドプロレスリング]]』を遅れネット)が同局へ移動したことによって放送を開始。KTSでのネット開始もって当時の日本テレビ系列全局にネットされることになった。</ref>}}
|-
|[[沖縄県]]
|[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]
|フジテレビ系列
|1983年10月よりネット開始<ref>{{efn|週末(土曜16:30-17:24)に遅れネット。</ref>}}
|}
 
485行目:
[[2010年]]より[[日本における衛星放送#CSデジタル放送|CS放送]]で再放送されている([[日テレプラス]]、[[第一興商スターカラオケ]]、[[ファミリー劇場]])。なお、VTRの保存状態や楽曲の著作権等をクリアした回を中心に順不同で放送しているほか、肖像権の問題により[[ジャニーズ事務所]]所属歌手(当時)と[[サザンオールスターズ]]出演の回は未放送(TOP10にランクインしている場合は欠席の回を放送する場合もある)もしくは、該当部分を割愛しての放送となった。
 
放送当時と同じ[[標準画質]]で放送されているほか、地上波放送当時と異なり、文字テロップ(曲の冒頭に表示された順位・曲名・歌手名などの字幕、ネット局表示、スタッフロールなど)が表示されない場合がある<ref>{{efn|1981年の放送回は文字テロップが表示された当時のまま放送されている。</ref>}}(オープニングタイトル、ランキング発表のコンピューター表示、エンディングの「ザ・トップテン また来週…」はそのまま放送されている)。
:なお、1982年放送された分と1時間半or2時間拡大スペシャルで放送された回については、今のところ(2014年7月時点)CSでの再放送が実施されていない。
 
=== 日テレプラス・第一興商スターカラオケ ===
* CSでの最初の放送は日本テレビ子会社の[[シーエス日本|CS日本]]運営の[[日テレプラス]]で、2010年1月25日から放送された(初回放送分で5月10日まで)。過去のランキング形式の音楽番組がCSで再放送を行うのは当番組が初となった。日テレプラスでの第1回は1981年10月5日放送分(第28回)を放送。なお、約256回にわたる放送回数のうち、日テレプラスで放送されたのはわずか16回であった。
* [[2011年]][[1月8日]]からは[[第一興商スターカラオケ]]で放送された。こちらは月1回の更新で、日テレプラスとは放送リストが異なるものの、うち16回が放送された<ref>{{efn|後番組『[[歌のトップテン]]』も本番組に続き日テレプラスで放送されたが、こちらは日テレプラス放送終了後、2011年7月から12月まで[[歌謡ポップスチャンネル]]で放送された。</ref>}}。なお、同チャンネルが2012年3月で閉局のため、放送は2012年2月をもって終了した。
* 放送回数は本放送当時と異なり、番組表等で「#1」「#2」といった具合で表示されており、曲目も各局ホームページに放送順で掲載されていた。
 
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[[2012年]]からは[[ファミリー劇場]]で不定期放送されており、同チャンネルにおける音楽番組の再放送も当番組が初である(ただし『[[ドリフ大爆笑]]』(フジテレビ系)など、歌のコーナーがあるバラエティ番組を放送することはあるが、音楽主体の番組の放送は当番組が初となった)。なお、放送回数表示は地上波放送当時に準ずる。
* 2012年[[3月4日]]と[[3月11日]]に初放送(15:00 - 18:00、両日とも各3回)され、この時は1984年から1985年にかけて放送された回をピックアップして放送された。3月20日にも6回分すべて一挙放送された(17:00 - 22:00)。
** なお、2012年3月放送時は第163回(1984年5月21日)、第182回(1984年10月8日)、第189回(1984年11月26日)、第194回(1985年1月7日)、第196回(1985年1月21日)、第200回(1985年2月18日)が放送された。また、放送に合わせ、公式サイトにも当時のランキングを掲載した。また2012年6月17日(12:00 - 18:00)に6回分を再び一挙放送<ref name="Top10_index">[http://www.fami-geki.com/detail/index.php?fami_id=01076 ザ・トップテン || ファミリー劇場]</ref><ref>ちなみに{{efn|2012年6月には歌謡ポップスチャンネルでも『歌のトップテン』10回分の一挙放送が行われた。</ref>}}し、9月9日には後半3回分(第163回・182回・200回)を一挙放送した(20:00 - 23:00)。
* [[2013年]][[5月2日]]に特集企画「バック・トウ・ザ・昭和」の一環として『歌のトップテン』とセットで放送<ref>[http://www.fami-geki.com/showa/05.html 特集:バック・トゥ・ザ・昭和 > トップアイドル編] ファミリー劇場、2013年4月</ref>。本番組からは、CSで放送する回のうち最も古い第24回(1981年9月7日)を皮切りに、第28回(1981年10月5日)、第135回(1983年10月31日)、第146回(1984年1月23日)、第157回(1984年4月9日)、第205回(1985年3月25日)、第208回(1985年4月15日)、第232回(1985年10月14日)の全8回分が放送された(11:00 - 19:00)<ref name="Top10_index"/>
** 2013年[[8月3日]]には前半4回分(第24回・28回・135回・146回)を一挙放送(14:00 - 18:00)。
* 2013年[[5月10日]]より週1回、金曜日20:00 - 21:00の枠にて放送(『歌の〜』との入れ替えによる編成)。週1回放送の最初の回は上述の一挙放送に含まれなかった第207回(1985年4月8日放送)が放送された。なお、[[6月7日]]より第24回から順に放送されたが、[[7月12日]]および[[7月19日]]は当初の放送予定回(第205回・207回)から変更し第24回・28回を再放送した<ref>{{efn|小倉淳が[[第23回参議院議員通常選挙]](2013年[[7月21日]]投開票)に[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]公認で[[東京選挙区]]から出馬し(結果は[[落選]])、その配慮から徳光和夫が務めた回に差し替えた。</ref>}}。[[2014年]]春より日曜日20:00 - 21:00の枠にて放送(『歌の〜』との入れ替えによる編成)<ref>{{efn|同枠では2014年9月中旬より『[[THE夜もヒッパレ]]』が放送された。</ref>}}されていたが、その後は不定期での放送となっている。
 
== 関連商品 ==
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
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*[[歌のワイド90分!]]
*[[速報!歌の大辞テン]]
*[[1番ソングSHOW]] - 日本テレビ系[[1900 (日本テレビ)|1900]]枠(水曜日)で放送されていた音楽バラエティ番組。ザ・トップテン当番組の映像を一部使用していた。
*[[ザ・ベストテン]]
 
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}}
 
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:さとつふてん}}
[[Category:日本テレビの音楽番組]]
[[Category:トップテン|*2さとつふてん]]
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[[Category:徳光和夫]]
[[Category:小堺一機]]
[[Category:渋谷公会堂歴史行事・イベント]]