「ザ・トップテン」の版間の差分
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Hamakita3126 (会話 | 投稿記録) |
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=== 代役司会 ===
堺が出演できないとき、[[高島忠夫]]や徳光などがピンチヒッターで司会を務めていた
== ランキングの決定方法 ==
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== 主な会場 ==
主に[[渋谷公会堂]]から公開生放送を行っていた。ただし、他の興行や[[メンテナンス]]のため使用できないとき、[[日本青年館]]・[[メルパルク東京|東京郵便貯金ホール]](現メルパルク東京)・日本テレビGスタジオ
歌手が関西方面に集中し、[[大阪府|大阪]]・[[池田市]]民文化会館大ホール(アゼリアホール)から生放送したことがあった。
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*オープニング、エンディングの各タイトルバックにそれぞれ、[[バーズ_(音楽ユニット)|ザ・バーズ]](日本テレビ音楽学院(現・[[日テレ学院]]タレントコース)のレッスン生。[[渡辺プロダクション]]の[[スクールメイツ]]に相当する)がオープニングでテーマ曲に合わせて踊り、その最後に「'''10'''」・エンディングは「'''END'''」の[[人文字]]を作り盛り上げるシーンがあった(エンディングでの画面下部の表示テロップは「'''ザ・トップテン また来週…'''」(年内最後の放送は「また来年…」→「来年もよろしく!」)であった)。
:また、1985年3月まではオープニングの提供読みが終わるタイミングで堺と榊原がザ・バーズの後ろから登場するという演出がなされていた。
*放送開始から1985年3月までは、月曜日の22時から[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で同じく歌番組である「[[夜のヒットスタジオ]]」(夜ヒット)が放送されていた。こちらも生放送であり、ランキング番組ではないためにトップテンよりも早く出演者のスケジュールを押さえていたため、ランクイン歌手で当日の夜ヒット出演者は止むを得ずトップテンの出演を辞退した(堺と榊原が「スケジュールの都合でご出演いただけませんでした」と紹介)
*トップテンに初出場した歌手は必ず記念写真を撮影する。撮影した写真は会場のセットに掲示された。撮影の際の掛詞は「(堺)親子で」「(榊原)ブーッ!」であった。
*曲のイントロ部分で視聴者からのはがき紹介や、ゲストの小話をするザ・ベストテンと異なり、ザ・トップテンではイントロにナレーションをかぶせない配慮がなされていた。
*メインの提供スポンサーは花王石鹸(現・[[花王]])であった。ザ・トップテンの場合は、毎回番組の中程(「もうすぐトップテン」発表直後あたり)に花王ヘアケアシリーズ([[エッセンシャル (シャンプー)|エッセンシャル]]シャンプー、トリートメントなど)の視聴者プレゼントがあった。プレゼントは他に、[[江崎グリコ]]の商品(アーモンドチョコレート、[[ポッキー]]など)、[[コカ・コーラ]]
*ランキング発表時に画面にコンピュータ表示される[[サル]]の顔の表情によって順位変動が示される(上昇=笑顔(舌を出す)。変わらず=普通。下降=困った顔(涙をこぼす)、上昇と下降のそれぞれの違いについては明確にされていない。ただし1位をキープした場合には笑顔)。末期のCGにはなくなる。
*堺は榊原の事を「[[ブタ|トントン]]」と終始呼び、「じゃあトントン次のランキングに…」という会話だった。
*放送は[[プロ野球]]の試合が基本的にない月曜日
== 歴史 ==
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*1981年9月21日、当時『スキヤキ'81』をヒットさせ来日中の[[テイスト・オブ・ハニー (バンド)|テイスト・オブ・ハニー]]が出演、『スキヤキ'81』の原曲『[[上を向いて歩こう]]』を歌った[[坂本九]]と共演した。
*1981年9月28日、[[西田敏行]]が「もしもピアノが弾けたなら」で初出場したが、「写真映りが気に入らないから」と3週にわたって記念撮影をした。3回目の撮影には両手に1・2回目の写真を持っていた。
*1982年3月29日、[[大山のぶ代]]が話題曲コーナーに出場し、[[テレビ朝日]]のアニメであるにもかかわらず『[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん]]』のエンディングテーマ「まる顔のうた」を歌った
*1982年5月17日、最高視聴率の28.8%([[ビデオリサーチ]]調べ、関東地区)を記録。この週の1位は[[近藤真彦]]の「[[ふられてBANZAI]]」。
*1982年10月4日、この時期になっても[[読売ジャイアンツ|巨人]]と[[中日ドラゴンズ|中日]]が[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]ペナントレースで猛デッドヒートを繰り広げている影響から、「巨人×[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋]]」戦([[後楽園球場]])が19:30 - 20:54枠で編成され
*1983年4月4日、[[藤村美樹]]の「[[夢・恋・人。]]」が10位にランクイン。当時、藤村は結婚と同時に芸能活動休止を表明。奇しくもこの日が結婚式の日(5年前の[[キャンディーズ]]解散日でもある)で、披露宴会場からの生中継で同曲を熱唱。歌唱中感極まって泣き出す場面もあった。
*1985年4月9日、番組の各種要素をリニューアル。番組テーマ曲が新しいアレンジのものに変更。ランキング発表のGGが過去3週の折れ線グラフに変更。(トップテン圏外は<span style="color:#EA3458">★</span>で表示していた。)猿の顔も変更し、順位変動の表情も3種類になった。またエレベーターもリニューアルされた。
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*1985年11月18日、前週の11月14日に本放送を終了した『[[アメリカ横断ウルトラクイズ|史上最大!!第9回アメリカ横断ウルトラクイズ]]』で第9代クイズ王となった金子孝雄が、同番組で海外リポーター・出題を務める[[福留功男]](当時・日本テレビアナウンサー)と共に出演、ランクインした近藤真彦と共に3本勝負のクイズ合戦を行った(勝者は近藤)。なおクイズは同番組で使用されている「[[アメリカ横断ウルトラクイズ#早押しテーブル|早押しテーブル]]」と「[[アメリカ横断ウルトラクイズ#早押しハット(ウルトラハット)|ウルトラハット]]」を使用した。
*1986年2月24日、[[中山美穂]]の「[[色・ホワイトブレンド]]」と[[杉浦幸]]「[[悲しいな]]」が10位に同点で2曲同時にランクイン。
*1986年3月31日放送(第256回)を
== ザ・ベストテンとザ・トップテンの相違点 ==
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|-
! 観客の公開
| 原則非公開
| 公開
|-
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! 得点表示
| 4桁
| 5桁(11 - 20位は表示
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! 初出場の儀式
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! 歌詞表示
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! 作詞・作曲者表示
| 表示あり
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! 11 - 20位の紹介
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|}
=== ザ・ベストテンでは10位内に入った
特にアイドル・演歌歌手の曲はザ・ベストテンよりも高順位で、ランクインもしやすい傾向にあった。
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** [[熱き心に]]([[小林旭]])
=== ザ・ベストテンでは1位になった
* [[ヨコハマ・チーク]]([[近藤真彦]])
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=== トップワン記録(V6以上の曲を掲載) ===
*V10-[[寺尾聰]]「[[ルビーの指環]]」
*V8-[[中森明菜]]「[[セカンド・ラブ (曲)|セカンド・ラブ]]」
*V7-[[近藤真彦]]「[[ギンギラギンにさりげなく]]」・[[中森明菜]]「[[1/2の神話]]」・[[チェッカーズ]]「[[星屑のステージ]]」
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=== 2週以上ランクインしたが、1度しか披露されなかった曲 ===
*[[シンデレラ サマー]](1981年)[[石川優子]]
*[[ムーンライト・キッス]](1981年)[[河合奈保子]]- ランクイン当時は後述の転落事故による腰椎骨折の重傷を負い、1度しか出演
*[[GOOD-BYE青春]](1983年)[[長渕剛]]
*[[Woman "Wの悲劇"より]](1984年)[[薬師丸ひろ子]]
312行目:
== できごと ==
*1981年10月5日、この日番組に出演する予定だった[[河合奈保子]]が[[NHKホール]]で転落事故(『[[レッツゴーヤング]]』の収録中)に遭ったという第一報が伝えられた
*1983年3月28日、[[沖縄県|沖縄]]から
*1983年6月27日、河合奈保子の「[[エスカレーション (河合奈保子の曲)|エスカレーション]]」が8位にランクイン。コンサートで訪れていた[[名古屋市]]の
*1983年11月28日、松田聖子の「[[瞳はダイヤモンド]]」が1位にランクイン。10曲連続トップワンをお祝いし表彰しようとしたところ、観客の男が乱入してくるという騒動があった。堺がとっさに男を追い払ったが、その後も松田と堺、榊原、そして会場の観客は動揺している様子であった。
*1984年4月9日、[[倉沢淳美]]の「[[プロフィール (倉沢淳美の曲)|プロフィール]]」がランクイン。ちょうど100組目の出場者にあたっていたが、前日[[札幌市]]において開催されたサイン会で切りつけられる事件(詳細は倉沢の項を参照)で負傷し、帰京後取材したVTRが流された。[[わらべ]]としても「[[もしも明日が…。]]」でランクインしていたが、好評だったというアニメが流された。
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*1984年10月22日、[[中森明菜]]の「[[十戒 (1984)|十戒]]」が5位にランクイン。エレベーターで会場に中森が登場と同時に、会場の観客から「帰れ」コールを喰らわされたことがあった。同年末の『トップテンスペシャル』で堺はこのことについて触れ、「あれはよくなかった。歌う方が出てくるときは気持ちよく迎えてあげるべきである」とのコメントを述べた。
*1985年3月11日、近藤真彦の「[[ヨイショッ!]]」が2位にランクイン。近藤は会場に登場する際におどけてエレベーターの降りる位置を間違え、中間の梁の部分に立ち、司会者の堺と榊原は呆然としていた。
*1985年8月12日、番組冒頭に報道センターから臨時ニュースがあり、[[小林完吾]]キャスター(当時日本テレビアナウンサー)
== スタッフ ==
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|[[青森県]]
|[[青森放送]]
|日本テレビ系列<br />[[
|
|-
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|[[富山県]]
|[[北日本放送]]
|放送当時日本テレビ系列局が
|-
|[[福井県]]
|[[福井放送]]
|{{要出典範囲|date=2015年8月|放送当時日本テレビ系列局が
|-
|[[東海3県|中京広域圏]]
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|[[テレビ長崎]]
|[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]<br />日本テレビ系列
|1981年10月5日からネット開始
|-
|[[熊本県]]
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|[[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]
|フジテレビ系列<br />日本テレビ系列
|1982年10月からネット開始
|-
|[[沖縄県]]
|[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]
|フジテレビ系列
|1983年10月よりネット開始
|}
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[[2010年]]より[[日本における衛星放送#CSデジタル放送|CS放送]]で再放送されている([[日テレプラス]]、[[第一興商スターカラオケ]]、[[ファミリー劇場]])。なお、VTRの保存状態や楽曲の著作権等をクリアした回を中心に順不同で放送しているほか、肖像権の問題により[[ジャニーズ事務所]]所属歌手(当時)と[[サザンオールスターズ]]出演の回は未放送(TOP10にランクインしている場合は欠席の回を放送する場合もある)もしくは、該当部分を割愛しての放送となった。
放送当時と同じ[[標準画質]]で放送されているほか、地上波放送当時と異なり、文字テロップ(曲の冒頭に表示された順位・曲名・歌手名などの字幕、ネット局表示、スタッフロールなど)が表示されない場合がある
:なお、1982年
=== 日テレプラス・第一興商スターカラオケ ===
* CSでの最初の放送は日本テレビ子会社の[[シーエス日本|CS日本]]運営の[[日テレプラス]]で、2010年1月25日から放送された(初回放送分で5月10日まで)。過去のランキング形式の音楽番組がCSで再放送を行うのは当番組が初となった。日テレプラスでの第1回は1981年10月5日放送分(第28回)を放送。なお、約256回にわたる放送回数のうち、日テレプラスで放送されたのはわずか16回であった。
* [[2011年]][[1月8日]]からは[[第一興商スターカラオケ]]で放送された。こちらは月1回の更新で、日テレプラスとは放送リストが異なるものの、うち16回が放送された
* 放送回数は本放送当時と異なり、番組表等で「#1」「#2」といった具合で表示されており、曲目も各局ホームページに放送順で掲載されていた。
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[[2012年]]からは[[ファミリー劇場]]で不定期放送されており、同チャンネルにおける音楽番組の再放送も当番組が初である(ただし『[[ドリフ大爆笑]]』(フジテレビ系)など、歌のコーナーがあるバラエティ番組を放送することはあるが、音楽主体の番組の放送は当番組が初となった)。なお、放送回数表示は地上波放送当時に準ずる。
* 2012年[[3月4日]]と[[3月11日]]に初放送(15:00 - 18:00、両日とも各3回)され、この時は1984年から1985年にかけて放送された回をピックアップして放送された。3月20日にも6回分すべて一挙放送された(17:00 - 22:00)。
** なお、2012年3月放送時は第163回(1984年5月21日)、第182回(1984年10月8日)、第189回(1984年11月26日)、第194回(1985年1月7日)、第196回(1985年1月21日)、第200回(1985年2月18日)が放送された。また、放送に合わせ、公式サイトにも当時のランキングを掲載した。また2012年6月17日(12:00 - 18:00)に6回分を再び一挙放送<ref name="Top10_index">[http://www.fami-geki.com/detail/index.php?fami_id=01076 ザ・トップテン || ファミリー劇場]</ref>
* [[2013年]][[5月2日]]に特集企画「バック・トウ・ザ・昭和」の一環として『歌のトップテン』とセットで放送<ref>[http://www.fami-geki.com/showa/05.html 特集:バック・トゥ・ザ・昭和 > トップアイドル編] ファミリー劇場、2013年4月</ref>。本番組からは、CSで放送する回のうち最も古い第24回(1981年9月7日)を皮切りに、第28回(1981年10月5日)、第135回(1983年10月31日)、第146回(1984年1月23日)、第157回(1984年4月9日)、第205回(1985年3月25日)、第208回(1985年4月15日)、第232回(1985年10月14日)の全8回分が放送された(11:00 - 19:00)<ref name="Top10_index"/>
** 2013年[[8月3日]]には前半4回分(第24回・28回・135回・146回)を一挙放送(14:00 - 18:00)。
* 2013年[[5月10日]]より週1回、金曜日20:00 - 21:00の枠にて放送(『歌の〜』との入れ替えによる編成)。週1回放送の最初の回は上述の一挙放送に含まれなかった第207回(1985年4月8日放送)が放送された。なお、[[6月7日]]より第24回から順に放送されたが、[[7月12日]]および[[7月19日]]は当初の放送予定回(第205回・207回)から変更し第24回・28回を再放送した
== 関連商品 ==
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
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*[[歌のワイド90分!]]
*[[速報!歌の大辞テン]]
*[[1番ソングSHOW]] - 日本テレビ系[[1900 (日本テレビ)|1900]]枠(水曜日)で放送されていた音楽バラエティ番組。
*[[ザ・ベストテン]]
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}}
{{
[[Category:日本テレビの音楽番組]]
[[Category:トップテン|*2さとつふてん]]
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[[Category:徳光和夫]]
[[Category:小堺一機]]
[[Category:渋谷
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