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1985年、[[武蔵野美術大学短期大学部|武蔵野美術大学短期大学]]美術科に入学する。1987年、同大学の専攻科に編入。1988年に卒業し、アートアドバイザーとして[[銀座]]の[[ギャラリー (美術)|画廊]]に就職するも半年で退職し、1989年、[[リクルート]]の関連会社にイラストレーターとして就職した。
 
1990年、{{要出典範囲|date=2019年5月|本当は専業主婦になるつもりだったが、23歳の時に付き合っていた婚約者を30過ぎの女に寝取られて婚約が流れ、その後友人の漫画家から誘われてヤケクソで漫画家になり}}、『[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラゴンクエスト]][[4コママンガ劇場]]』に執筆を始め、ドラゴンクエストの世界観とは相容れない「ニセ勇者」シリーズを執筆して人気を博す。同年6月には「ソードマスター剣王伝説」でエニックスファンタジーコミック大賞奨励賞を受賞。その後、創刊企画時の『[[月刊少年ガンガン]]』から執筆依頼が来るものの、当時はまだプロとしてやっていく気はなく断っていたという。しかし、私生活上で嫌なことがありヤケになっていた時に、渋谷の路上でエニックスの編集者から「漫画を描かないか」と声をかけられ、思わず頷いてしまったことからプロになる決意を固めた(この出来事を柴田は「'''エニックスナンパ事件'''」と呼んでいる<ref name="shibata1993.p=62" />)。
 
[[1991年]]に『[[月刊少年ガンガン]]』創刊号にて、「[[南国少年パプワくん]]」の連載を開始。2話目までは会社勤務と漫画連載を平行していたが、連載3話目以降は時間的に両立させるのが難しくなり会社を退職、漫画家の専業となる。「南国少年パプワくん」はアニメ化されるなどのヒット作となり、[[藤原カムイ]]、[[衛藤ヒロユキ]]らと共に『月刊少年ガンガン』初期の牽引役となった。