「羽黒山政司」の版間の差分
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双葉山が現役でいた間、双葉山と1勝差で優勝を逃すこと2度、優勝同点1度、逆に2度の優勝はともに双葉山を1勝差でおさえてのものだった。2度目の優勝の頃からは「もう双葉山より強いのではないか」という声も聞かれるようになった。
[[第二次世界大戦]]の敗戦とともに双葉山が引退すると、名実ともに第一人者として戦後の復興真っ只中の相撲界を支えた。[[1945年]]11月場所から4連覇・32連勝を記録したが、その間に立浪の娘だった妻と長男を相次いで亡くす悲劇に見舞われ、その悲しみを乗り越えて全勝優勝を果たした(1946年11月場所)<ref name="100retsu"/><ref name="meiretsu"/><ref name="meiretsu22"/>
その後も羽黒山にはアクシンデントが続く。[[1948年]]4月23日の五條巡業で照國と取り組みを行った際に右[[アキレス腱]]を断裂、当時の日本の外科の権威によって手術が行われたが、半月程は下駄を履いて歩くのにも難儀した<ref>[[小島貞二]]によると、足が悪かった頃は右足が左足の半分ほどの細さになっていたという。</ref>。さらに同年7月の北海道巡業で[[横綱土俵入り]]を行った際、[[四股]]を踏んだ途端に同じ箇所を再び断裂してしまった。すでに羽黒山は30代に入っており、その後も後遺症で[[休場]]するなど再起が絶望視された<ref name="100retsu"/>が、周囲が引退に反対していたため続投<ref name="meiretsu54"/>。[[1949年]]5月場所で復帰し、11勝4敗で何とか踏みとどまったが、既に羽黒山のかつての勢いは失われたと思われた。しかし、[[1952年]]1月場所で最後の優勝を全勝で飾り、この時37歳2ヶ月で最高齢での全勝優勝記録となっている<ref>最高齢での幕内最高優勝は[[旭天鵬勝]]の37歳8ヵ月(2012年5月場所、前頭7枚目で12勝3敗)</ref>。この場所千秋楽の千代の山戦は、千代の山の激しい突きに羽黒山も応戦、右のど輪で攻め立てて左下手廻しを引くや、大きく下手投げを放ち快勝、という内容であった<ref name="meiretsu1952nen">ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p43</ref>。
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