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[[第一次日韓協約]]により[[目賀田種太郎]]が韓国の財務[[顧問]]につくと、民間銀行に過ぎない第一銀行が外国の[[中央銀行]]業務を行っている事を問題視して[[韓国統監]][[伊藤博文]]に相談。[[桂太郎]]ら[[韓国併合|日韓併合]]に積極的な[[山県有朋|山県閥]]、第一銀行を経営する[[渋沢栄一]]と伊藤との調整の結果、併合直前の[[1909年]]に大韓帝国政府、日本[[皇室]]、韓国皇室および個人から[[資本金]]により設立された韓国銀行条例(韓国法:[[隆熙]]3年法律第22号)に基づく中央銀行・'''韓国銀行'''が設立されて、第一銀行から中央銀行業務を移管した。その韓国銀行は併合後の[[1911年]]には朝鮮銀行法(日本法:明治44年3月29日法律第48号)に基づく特殊銀行として朝鮮銀行と改称された。
 
なお、日韓併合時に、[[日本銀行券]]を朝鮮にも流通させようという意見が有力であったが、[[元老]]で財政通として知られていた[[松方正義]]が<nowiki>[[西南戦争]]</nowiki>の際に<nowiki>[[不換紙幣]]</nowiki>を増発して軍事費を賄ったため紙幣が暴落した苦い経験から、「朝鮮経済の不安定さがそのまま内地に影響するのはまずい」との見解を示したため、内地との間の障壁として朝鮮銀行券を発行することになったという<ref>多田井喜生『朝鮮銀行 <small>ある円通貨圏の興亡</small>』(PHP新書、2002年)P71~73</ref>。
 
== 業務 ==
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日本の敗戦後、[[1945年]]9月末をもって最後の日本人総裁田中鉄三郎は解任され、後任にはアメリカ合衆国軍政部のローランド・スミス海軍少佐が就任して米軍の管理下に置かれたが、[[1950年]]に[[韓国銀行]]が創設されるまでの期間、38度線以南の地域で中央銀行および商業銀行としての業務を継続し、{{仮リンク|圓 (1945年-1953年)|label=圓(ウォン)|ko|대한민국 원 (1945년-1953년)}}を発行した。
 
米韓の軍政委譲協定により朝鮮銀行が韓国政府に委譲され、[[1950年]]6月5日に朝鮮銀行の資産負債を継承した<nowiki>[[韓国銀行]]</nowiki>が発足して韓国銀行券発行の準備にかかったが、直後の6月25日に<nowiki>[[朝鮮人民軍]]</nowiki>が宣戦布告なしに南進し<nowiki>[[朝鮮戦争]]</nowiki>が勃発した。韓国銀行では本店地下金庫の金塊と銀塊および総裁ら幹部職員は脱出させたが、6月28日には<nowiki>[[ソウル特別市]]</nowiki>が陥落し、韓国銀行券発行までの経過措置として発行・保管していた多額の朝鮮銀行券と印刷原版が北朝鮮に奪われた。北朝鮮は奪取した朝鮮銀行券のほか、原版で不法発行した銀行券を乱発し、物資調達と経済攪乱工作を進めた。これに対抗するため、韓国側は一刻も早く韓国銀行券を発行して朝鮮銀行券の通用を禁止する必要に迫られたが、戦乱下の韓国では新券発行が不可能だったため、<nowiki>[[GHQGHQ]]</nowiki>の命令で日本の<nowiki>[[大蔵省]]</nowiki><nowiki>[[印刷局]]</nowiki>(当時は外局の印刷庁)が1950年7月から1951年3月末にかけて韓国銀行券8億4200万枚を製造・納入した。北朝鮮による朝鮮銀行券の不法発行は全流通額の3%程度と推測されるが、<nowiki>[[仁川上陸作戦]]</nowiki>で仁川、ソウルが奪還されると、同行していた韓国銀行先発隊が日本で製造された韓国銀行券と朝鮮銀行券の通貨交換を進めて朝鮮銀行券の流通を禁止し、北朝鮮の経済攪乱工作による被害を最小限に食い止めた。
 
[[第二次世界大戦]]後、[[閉鎖機関]]に指定され解散した。朝鮮にあった資産は米ソ両軍政府が接収し、のちにその一部は[[大韓民国]]と[[朝鮮民主主義人民共和国]]の中央銀行である[[韓国銀行]]・[[朝鮮中央銀行]]に払い下げされた。また日本国内の残余資産により設立された銀行が日本不動産銀行(後の[[日本債券信用銀行]]、現:[[あおぞら銀行]])である。