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2019年5月29日まで
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== 2018年12月9日から2019年5月29日まで ==
[[ファイル:AyyubidGreatest.png|thumb|150px|アイユーブ朝の最大支配領域(1188年)]]
'''[[アイユーブ朝]]'''({{lang-ar|الأيوبيون}}、[[クルド語]]:دەوڵەتی ئەییووبی )は、[[12世紀]]から[[13世紀]]にかけて[[エジプト]]、[[歴史的シリア|シリア]]、[[イエメン]]などの地域を支配した [[スンナ派]]の[[イスラム王朝|イスラーム王朝]]。シリアの[[ザンギー朝]]に仕えた[[クルド人|クルド系]]軍人の[[サラーフッディーン]](サラディン)を王朝の創始者とする。
 
[[1169年]]にエジプトを支配する[[ファーティマ朝]]の宰相に就任したサラディンは、ザンギー朝から事実上独立した政権を樹立する。サラディンは[[アッバース朝]]の[[カリフ]]の権威を認め、支配の正統性を主張してマリク(王)を称した。ファーティマ朝の実権を握ったサラディンは独自の政策を立案したため、後世の歴史家はサラディンが宰相の地位に就いた1169年をアイユーブ朝が創始された年と見なしている。サラディンの死後、国家の領土は各地の王族たちによって分割され、[[ダマスカス]]、[[アレッポ]]、[[ディヤルバクル]]には半独立の地方政権が成立した。[[アル=アーディル]]、[[アル=カーミル]]、[[サーリフ|アッ=サーリフ]]ら有力な君主の時代には一時的に統一が回復され、彼らは[[カイロ]]で政務を執った。[[1250年]]に[[マムルーク]](軍人奴隷)のクーデターによってカイロのアイユーブ家の政権は滅亡し、シリアに残った地方政権も1250年代後半から中東に進出した[[モンゴル帝国]]とマムルーク朝の抗争の過程で消滅した。
 
== 2012年5月26日から2018年12月9日まで ==
[[ファイル:Sultan Pardons Scheherazade.jpg|thumb|140px|シャフリヤールに物語を話すシャハラザード(シェヘラザード)]]