「滝澤正光」の版間の差分

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'''滝澤 正光'''(たきざわ まさみつ、[[1960年]][[3月21日]] - )は[[日本]]の元[[競輪選手]]である。[[千葉県]][[八千代市]]出身。師匠は[[長岡弘臣]]。1980年代から1990年代にかけ、中野浩一、井上茂徳らとともに競輪黄金時代の一翼を担った<ref name="中野2004-89">[[#中野2004|中野2004]]、89頁。</ref>。現在は[[日本競輪選手養成所]](日本競輪学校より改称)第23代所長([[名誉教諭]]兼務)。
 
== 経歴 ==
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通算成績は2457走中787勝。優勝回数150回。生涯獲得賞金は17億5644万円で、[[神山雄一郎]](現役、[[2008年]]6月現在22億2000万円超)に次ぐ歴代第2位。
 
==日本競輪選手養成所長==
選手として晩年にあたる頃の[[2007年]]10月、長年の競輪に対する真摯な姿勢が認められ、現役選手でありながら日本競輪学校(当時)の名誉教諭(教官)となり、かねて奉られていた愛称「滝澤'''先生'''」が現実になった(後述)。現役選手時には非常勤として競走斡旋の合い間を縫って教鞭を執っていたが、2008年に現役を引退した直後からは日本競輪学校(当時)に常勤の教官として就任し、後進の指導に当たっていた。
 
そして[[2010年]][[4月1日]]より、日本競輪選手養成所学校(当時は日本競輪学校)の第23代校長に就任した。競輪選手出身者同所日本競輪学校長に就任するしたのは史上初めてのこととなるであった。なお、日本競輪学校は[[2019年]][[5月1日]]に日本競輪選手養成所に名称変更したため、現在は『所長』という肩書となっている。また、養成所においては『'''瀧澤'''正光』(苗字はいずれも旧字体)としている<ref>{{Cite web |url=http://keirin.jp/pc/topicsdetail?nnum=3537 |title=日本競輪学校117回特別選抜試験合格者 原大智(競技モーグル種目)の決定について |publisher=KEIRIN.JP |date=2019-04-05 |accessdate=2019-04-06 |archiveurl= |archivedate= }}</ref>。
 
==主な獲得タイトルと記録==
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ちなみに滝澤が吉井とともに「先生」と呼ばれるようになったのはこの番組がきっかけであり、先生とは上述のガンバルマンの講師役ということにちなんでつけられた。
 
当時は2人とも独身だったことから、番組内で「滝澤、吉井両先生のお嫁さん募集」というコーナーが設けられたが、2人ともにこのコーナーをきっかけとして相手をみつけ(但し滝澤の場合、実際に出演中には見つからず、現夫人とは出演しなくなってから知り合っている)、結婚に至った。なお、[[1987年]]に挙行された正光滝澤の結婚式にはキューピット役ともいえる[[ビートたけし]]が招待されている<ref>[http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/00008/contents/004.htm 日本財団図書館] - [[1987年]][[12月25日]][[朝日新聞]]夕刊からの引用文章</ref>。
 
===その他===
*その経歴や風貌からは想像も出来ないような温厚な性格と謙虚な姿勢の持ち主であり、練習に真剣に取り組む真摯な態度も合わさり人望はことのほか厚く「競輪界随一の人格者」としても知られる。ただオールスター競輪でのファン投票で1位を獲得したことはなかった<ref>滝澤がGP及びGIタイトルを取っていた年代のオールスター競輪ファン投票第1位は、[[中野浩一]](1981年から1991年まで)、[[吉岡稔真]](1992年から1996年まで)だった。</ref>。
*一部でその風貌から「[[カバ]]」とあだ名されることがあり、それが漫画の『[[ギャンブルレーサー]]』で描かれたことにより、多くの競輪ファンの間にも広まってしまった(横田昌幸 『全国50場競輪巡礼記』より)
 
*とある年の[[川崎競輪場|川崎]]記念のインタビューにおいて、「皆さん!春だというのに桜が咲いて!」と客席に向かって言い放った。その直後、観客席から、「当たり前だろ!春だから桜が咲くんだよ!」という言葉が返され、場内は大爆笑になったという([[阿佐田哲也]]編、『競輪痛快丸かじり』より)。
*一部でその風貌から「[[カバ]]」とあだ名されることがあり、それが漫画の『[[ギャンブルレーサー]]』で描かれたことにより、多くの競輪ファンの間にも広まってしまった。(横田昌幸 『全国50場競輪巡礼記』より)
 
*とある年の[[川崎競輪場|川崎]]記念のインタビューにおいて、「皆さん!春だというのに桜が咲いて!」と客席に向かって言い放った。その直後、観客席から、「当たり前だろ!春だから桜が咲くんだよ!」という言葉が返され、場内は大爆笑になったという。([[阿佐田哲也]]編、『競輪痛快丸かじり』より)。
 
*1988年 - 1990年頃、競輪のイメージキャラクターに起用された。一例として、『[[木琴]]をうまく叩けない』編などがあったが、全般的にコミカルタッチな内容となっていた。
 
*[[2009年]]に放送された競輪のCM『9ways』において唯一現役の選手以外で出演し、9番車として「酪農家」の設定で出演していた。