「トゥールーズ伯」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
4行目:
 
== 歴史 ==
[[1208年]]、異端[[カタリ派]]の鎮圧のため訪れていた教皇特使ピエール・ド・カステルノーがレーモン6世の家臣により暗殺され、この事件をきっかけに[[アルビジョア十字軍]]が結成された<ref>柴田 他、p. 459</ref>。[[ラングドック=ルシヨン地域圏|ランクドック]]は[[レスター伯]][[シモン4世・ド・モンフォール (第5代レスター伯)|シモン・ド・モンフォール]]率いるアルビジョア十字軍により荒廃した。レーモン6世は[[1211年]]に破門された上、[[1213年]]のミュレの戦いにおいて敗北し、[[1215年]]の[[第4ラテラン公会議]]において伯の財産を没収された<ref>ハラム、p. 382</ref>。シモン・ド・モンフォールは[[1215年]]にトゥールーズを占領したが、[[1218年]]のトゥールーズ包囲戦で戦死し<ref>ハラム、p. 383</ref>、レーモン6世は伯領を奪回した。
 
[[レーモン7世 (トゥールーズ伯)|レーモン7世]]は、レーモン6世とイングランド王女[[ジョーン・オブ・イングランド (シチリア王妃)|ジョーン]]との息子であり、[[1222年]]に伯位を継いだ。異端派の抵抗が続く中、[[1226年]]にレーモン7世の破門および伯領のフランス王への帰属が決定されると、フランス王[[ルイ8世 (フランス王)|ルイ8世]]は軍を率いてランクドックを制圧した<ref name=S197>柴田 他、p. 197</ref>。[[1229年]]のモー条約(パリ条約)において、レーモン7世は新王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]にローヌ川以西の領地を譲渡、一人娘で相続人の[[ジャンヌ・ド・トゥールーズ|ジャンヌ]]とルイ9世の弟の[[ポワチエ]]伯[[アルフォンス・ド・ポワティエ|アルフォンス]]との結婚を承諾した<ref name=S197 />。[[1249年]]にレーモン7世は死去し、トゥールーズはジャンヌとアルフォンスが相続したが、二人の間には子供がなく、ともに[[1271年]]に死去し、広大なトゥールーズ伯領はフランス王領となった。